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・議長、開会を宣言。
議題1 狛江市文化財の指定について
・前回の会議において、引き続き確認、検討すべき課題として3点が挙げられていましたので、まずそれらの点について、事務局での検討結果を報告しました。
1点目は、本堂、鐘楼門、開山堂、山門を4棟1件で文化財指定する方向をすでに確認しましたが、指定件名については、史跡指定ではないため、建造物としての指定であることが明確となるような名称にする必要があるため、事務局において東京都指定文化財及び都下市町村指定文化財の建造物について事例を検索した結果、それぞれの名称を列記し、「泉龍寺本堂、開山堂、鐘楼門、山門」とするのが妥当ではないかと説明しました。
2点目は、附として指定する範囲について、本堂の須弥壇と欄間の板絵、開山堂の天井板絵の取り扱いをどのようにするかが課題となりました。この件につきましても、事務局において東京都指定文化財及び都下市町村指定文化財の建造物について事例を検索した結果、建造物の附の範囲は棟札までが一般的であり、須弥壇の事例は1件、天井板絵の事例はなく、むしろ天井板絵は美術工芸品として個別に指定されているものが多く、附として指定するのは例外的であることが確認できました。したがって、本件でも棟札のみを附とし、本堂の須弥壇と欄間の板絵、開山堂の天井板絵については、その位置づけを確認した後、あらためて美術工芸品として個別に指定するのが妥当ではないかと説明しました。
3点目は、本堂と開山堂の増改築について、改築の経緯を含めて現状を把握する必要があるとの指摘を頂きました。事務局にてあらためて泉龍寺に確認調査を行ったところ、昭和35年の大修理前の青焼図面と、平成4年に本堂の増築を行った際の図面を確認することができました。この図面から、本堂と開山堂は、明治時代と大正時代に大きな増改築がなされた可能性は低く、昭和35年の大修理にて本堂から開山堂が独立し、平成4年の増築工事により本堂北側に書斎などが設けられ、平成21年に本堂の耐震補強工事がなされたという経緯が確認できたことを説明しました。
・上記課題の検討結果を踏まえて、指定理由書の概要を説明しました。
まず本堂は、2列3室の6間取りで、8尺間の広縁を敷く方丈型の形式になり、内陣と大間からなる仏堂は、江戸時代の曹洞宗寺院本堂の特徴をよく残しています。開山堂は、堂内の虹梁や祭壇は江戸時代の遺構と考えられます。鐘楼門と山門は、柱、貫及び虹梁などは元の部材を活かしており、江戸時代の遺構をよく残しています。
さらに、泉龍寺の建造物の特筆すべき点として、棟札や関連する古文書などにより、建立年や建築に携わった職人などが明らかになる点を挙げることができます。本堂は棟札から、大工と木挽が武州多摩郡に居住する者であったことがわかります。鐘楼門は、棟札と関連古文書から、泉龍寺にまつられているまわり地蔵を信仰する講中からの寄進が確認でき、鐘楼門再建勧化の背景には、まわり地蔵信仰の影響の広さがうかがえます。また、鐘楼門の建築を請負った大工は、橘樹郡上平間村の喜右衛門と栄八で、喜右衛門とは同村大工渡辺家4代目の渡辺棟続、栄八は和泉村の出身で、渡辺家で修行をしていた飯田栄八になります。鐘楼門の建築には、和泉村出身の大工が携わっていたことになります。山門は棟札と関連古文書から、石谷家や檀家各家から寄進がなされ、世話人を務めたのは、和泉村の檀家9名他3名になります。大工は、白井栄八、片柳庄蔵、飯田角次郎、市川新六の4名で、いずれも和泉村に居住する大工でした。また、木挽も和泉村の谷田部幸蔵でした。さらに、瓦は宇奈根村の瓦屋平治に注文しており、山門は、地域住民が主体となって再建された門といえます。
泉龍寺は、本堂、鐘楼門、山門を結ぶ直線を維持し、現在も禅宗寺院の特徴を示す伽藍配置を保っています。建造物の再建及び建立は、石谷家や檀家各家の寄進とまわり地蔵を信仰する人々の寄進をもとに進められ、造作は狛江周辺や地元の職人の手によってなされていることが明らかであり、地域社会の様相や職人たちの活動を知り得る貴重な建造物だといえます。
・委員から、名称については、泉龍寺の伽藍を踏まえると、列記した名称でよいのではないかとの意見が出されました。附については、棟札の指定が妥当であり、今後、本堂の須弥壇や欄間板絵、開山堂の天井板絵の調査が進み、その段階で見直す必要が生じた場合に、文化財として検討すればよいのではないかとの意見が出されました。
・指定理由書については、基本的な考え方はよいが、現状で指定するのであれば、指定の範囲と規模などの数値を確認し、見直す必要があるのではないかとの意見が出されました。
・委員から出された内容については、事務局にてあらためて確認し、指定理由書については、各委員が次回の会議までに中身の精査をして問題点を事務局へ報告して頂き、それらを踏まえて、次回の会議にて指定理由書の内容を確定する旨を決定しました。
その他
(1)教育委員会の自己点検及び評価について(報告)
・事務局より教育委員会の自己点検及び評価について説明しました。地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正により、平成20年度から各自治体教育委員会に対して事業の執行状況及び自己点検の実施が義務付けられたもので、10月始めに審査委員会に提出しました。
・本来、各所管の委員会にて検討して頂いたうえで提出すべきものですが、お集まり頂く機会が設けられず、事務局にて対応いたしました。評価表については、今後審査委員会の見解を得たうえで、教育委員会、議会に報告、公表されていきます。
・審査委員会への提出の時期が、変動してきているため難しいところですが、今後はなるべく検討できるタイミングで会議を開催していくか、事前にお送りして対応して頂けるようにしたいと考えている旨を説明しました。
(2)狛江市立古民家園の指定管理者について(報告)
・狛江市立古民家園の指定管理者再指定の経緯について、事務局より報告しました。
・狛江市立古民家園の平成24年度以降の指定管理者候補の選定につきましては、公募によらない選定で進めていくこととし、文化財専門委員の会議としての意見を前回の会議でまとめて頂きました。その意見につきましては、7月12日に開催された教育委員会にて報告しました。
・前後しますが、6月27日には、古民家園運営市民協議会から指定申請書が提出されたため、8月29日に指定管理者検証委員会を開催し、現行の指定管理者のモニタリングを行いました。その結果、「狛江市立古民家園の指定管理業務は効率的かつ安全に履行されており、狛江市立古民家園条例に規定された施設の設置目的は十分に果たされており、民家園としての機能を十分発揮させている」との評価から、総合評価は「A」となりました。指針に定められた基準では、総合評価が「A」の場合は、継続して指定管理者として選定し、教育委員会の議決を経て決定することとなっておりますので、9月1日に教育委員会に報告しました。
・これを受けて9月15日、10月16日の教育委員会定例会において、審議して頂いた結果、教育委員会として狛江市立古民家園運営市民協議会を指定管理者の候補として決定しました。
・その後、10月25日には仮協定を締結、現在、第4回定例会に議案として提案しているところです。議会の議決が得られれば、これ以降、指定の告示、指定書の交付、本協定の締結といった流れとなります。
(3)狛江市立古民家園の修繕について(報告)
・事務局から、狛江市立古民家園にある建物のうち旧荒井家住宅主屋の雨戸修繕と主屋棟の修繕を行った結果を報告しました。
・雨戸の修繕につきましては、戸自体が大分痛んでおり、10月17・18日・24日の3日間をかけて、すべての雨戸を新しい杉板製の雨戸に取り替えました。
・主屋棟の修繕は、11月15日から30日にかけて、棟部分の茅を取り替えるとともに、棟を覆う杉皮と竹製のグシを取り替え、屋根全体に部分的に差し茅を行いました。また、これに伴いまして棟部分に取り付けてありますドレンチャーの取り外しと再取り付けを行って、放水試験も終了しています。棟の修繕期間は、足場を架ける必要があることから、休園としました。材料となる竹が確保できるのが秋口以降になるということ、また民家園としてもイベントがない時期にということで、この時期に行うこととなりました。
(4)最近の埋蔵文化財確認調査について(報告)
・事務局から、平成23年度に実施した市内の埋蔵文化財確認調査について報告しました。
・今年度はすでに8件の試掘を実施していますが、うち、東京航空計器跡地に関しては、事業者から届出が提出された後、東京都教育委員会とも相談しながら対応してきました。過去の調査事例や敷地の現状などから、便宜上、敷地全体を①から③に分けて対応しました。①につきましては、敷地北西部で敷地外との地形が1m近く段差があり、工場敷地内が大きく削平されていることや、第一小学校・セントラルハイツの建築時の調査の結果などから、すでに遺跡の遺存する可能性は低いと判断し、建物解体時に立会いを行ったうえで、判断するものとしました。②につきましては、昭和57年7月に試掘調査が行われており、埋没谷が入り込んでいると想定された部分で、遺構・遺物は検出されず、本調査には至っていません。したがって、②につきましてはやはり建物の解体時に立会いをしたうえで判断するということになりました。セントラルハイツと第一小学校については、昭和57年から58年にかけて試掘調査が行われ、昭和59年に本調査が実施されていますが、直接和泉式の時期のものは見つかっていません。
試掘調査は、③の部分を対象に、9月20・22・26日の3日間、南側の建物がない部分を対象に試掘を実施しましたが、すでにハードローム層まで掘削された状況で、遺跡が残されている可能性がある土層自体確認できませんでした。北側の建物部分についても、解体にあわて逐次立会いを行いましたが、建物床面下の基礎部分は土が大きく入れ替えられており、基礎下はハードロームが露出する状況であるため、遺跡自体、工場敷地の造成時点ですでに削平されてしまったものと判断しています。
かつての和泉遺跡の報告では、水田面から50mほどの範囲で検出されたことが記載されており、やはり和泉遺跡の中心は、航空計器の敷地内というよりも、現在の第一小学校から東側に広がっていたものと考えています。また、近年の原北遺跡の調査成果などを考えますと、水田の谷筋に沿って南北方向に点在する状況が想定され、台地内部にまでは広がっていないと想定されます。
また、田中・寺前遺跡では、自転車返還場所の試掘を行い、時期不明の段切り状遺構、溝状遺構、柱穴列、井戸跡、土坑などを検出し、遺物が確認できていないため詳細は不明ですが、石谷氏の屋敷跡の一部かそれに隣接する土地利用の一部と想定されます。来年本調査を実施する予定です。
さらに、猪方小川塚古墳につきましては、遺跡地図上では、墳丘がすでに削平されたものとして扱われてきましたが、今回、宅地造成の届出が提出され、現地を確認したところ、高さ1mほどの盛り土が残されていました。事業者とは、全体の計画のなかで、墳丘部分を残せないかを含めて協議しましたが、残されている墳丘部分の状況を試掘調査で確認し、検討することとしました。その結果、南側にブリッジを持つ内径20m以上の周溝が検出されました。残された墳丘はそのうちのごく一部で高さ1mほどの盛土が残されているに過ぎなかったため、墳丘の遺存状況、構築状況を記録するため本調査に着手しています。その結果、切石積みの横穴式石室が検出され、現在調査中です。
(5)次回の会議開催日程について
第4回の会議は、1月中、もしくは2月半ばまでに開催し、指定理由書を確定したいと考えています。日程については、事務局にて調整し、あらためて連絡することになりました。
・情報交換
・本年度は、多摩郷土誌フェアに参加することになりました。
・10月20日に泉龍寺文庫がオープンしました。市指定文化財も展示されています。
・議長、閉会を宣言。
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