玉川碑(中和泉4-624)は小高い築山の上に、礎石を横たえて立つ3メートル近い根府川石の石碑である。次のような万葉集の一首(巷14)が万葉仮名で刻まれている。
多摩川の水面は、昔は今よりずっと高く、しかも堤防は低くて所々とぎれていた。
かつての狛江は水田や畑が多く、山林が少なかったので、燃料に苦労した家が多かった。
昔はな、水浴びに行くときには、「河童に尻ご玉ぬかれねえように気い付けろ」なんて、親たちに言われたもんだいね。
狛江市の東南隅の宿河原は、堤内(ていない)わずかに東西400メートル・南北100メートルばかり、堤外は、多摩川の河川敷である。
多摩川の漁の中心はアユ漁で、この辺りでは、昔は釣りよりも網漁が盛んであった。
多摩川で一般によく使うかち徒歩打ちのカチアミは目数が二十万目で、舟から打つフナアミは二十五万目
「多摩川の虫」を代表するキリギリスのギッチョ捕りは、狛江などでも子どもたちのちょっとした夏場の小遣い稼ぎになっていた。