狛江駅周辺今むかし

 昭和43年、狛江駅の前には狛江第一小学校があって、その周囲はコンクリートの塀で囲まれ、塀の外には幅6m程の道路に沿って何軒かの商店が並んでいた。北口臨時改札口はできたばかり。朝夕踏切はいつも閉まっていたから踏切を渡ろうとする人で混み合っていた。
 バスは調布から渋谷、国領から二子玉川、多摩川住宅から町役場前の3系統あったが、停留所は渋谷行と二子玉川行は町役場の前、調布行はJAマインズの前、多摩川住宅行は狛江第一小学校の裏にあって、そこから駅まで歩かなければならなかった。
 狛江通りの踏切も開かずの踏切で朝夕は渋滞がひどく、一方は松原近くまで、一方は三差路近くまで自動車の行列だった。だから今の和泉本町停留所の辺りに降車専用の臨時停留所を設置して、駅を目の前にいらいらしている乗客を降ろしていたが、そこから駅まで歩くのである。昭和63年に狛江駅まで延長した武蔵境からのバスも当初は狛江通りの渋滞を避けるために松原で右折し、田中橋から六郷さくら通りを通って町役場前から国領方面に向かっていた。そのような激しい渋滞のため、踏切を渡れない自動車が少しでも空いている踏切を渡ろうとして住宅地の狭い道を通り抜けていた。
 小田急線もラッシュの時間帯には各駅停車と通過列車を合わせてほぼ2分間隔で運転していたから踏切はなかなか開かない。また朝の上り以外の急行は成城学園前を通過していたため、新宿から狛江に来るには各駅停車に乗る他なかった。そのため急行に乗って登戸まで行って戻る人がいたとみえて、改札口には「登戸まで行って戻ってきた方は乗越運賃をいただきます」という掲示がしてあった。まだ自動改札でなかったから、改札口に駅員が立ち乗車券の表示をよく見ていた。
 平成7年3月25日、小田急線が高架になり、渋滞は解消され、狛江駅前をはじめ狭い道を通る自動車は少なくなった。そして平成8年3月15日に北口に駅前広場が完成するとバスはみな駅前に入るようになり、さらに平成9年からは仙川経由成城学園前行、平成20年からは「こまバス」、平成29年からはつつじヶ丘行も乗り入れるようになって一層便利になった。また、狛江駅北口交通広場があるおかげでバスは定刻発車。そして広場の周辺にもたくさんの店舗が並び、夜遅くまでにぎわっている。名実ともに狛江駅が市の中心になったのである。この春からは準急さえ停車するようになった。
 昭和43年から平成30年までの50年間に市の人口は1・7倍に、狛江駅の乗降人員は平成27年までだが2・0倍に、駅の周辺にはたくさんのマンションが建ち、多くの商業施設の明かりが夜遅くまで煌々(こうこう)と輝いている。

井上 孝
(狛江市文化財専門委員)