なぞなぞなあに 「小っちゃい生きものは入れないで、大っきい生きものは入れるもの なあに」「天井はあるけど、床(ゆか)のないもの なあに」。蚊帳(かや)が夏の暮らしの中でなくてはならないものだったころの、狛江でも聞くことができた子どものなぞなぞ遊びの一つです。
 江戸時代から庶民の間にも使われるようになった蚊帳は、その全国生産量が最高に達したのは昭和40年で、約300万張(はり)でした。その後は、網戸やエアコンの普及、除虫剤の改良などにより、需要は急速に落ち、いまでは蚊帳を知らない人が多くなりました。狛江でも、昭和40年代以降、新築や改築の家が急増し、蚊帳の役目は、ほぼ終わります。
 「蚊帳を使わなくなってね、処分しちゃおうかと思ったけど、むかしの暮らしの思い出に、ひと張だけとってありますよ」。大正12年9月の関東大震災のときには、地震に強くて安全だという竹やぶにむしろやござを敷いて蚊帳を吊り、何日かを過ごしたこと。そしてまた、第二次大戦中、空襲があったとき、防空壕のある竹やぶに蚊帳を吊って年寄りや子どもを入れ、出征中の夫の留守をまもった話など、家の外での蚊帳の非常時の役目を語る人もいます。
 蚊帳は麻をざっくりと織ってあるのが普通ですが、木綿のものもありました。「色は緑色でね、上の縁には赤い布が付いていて。麻よりも木綿の蚊帳のほうが値段が安いのよね」。客用などに水色のぼかしの蚊帳を使った家もあったそうです。「大きいのは十畳用、それぞれ部屋の広さに合ったものをね。三畳なんてのもあったよ」。「蚊帳をたたむの、あれ、たいへんなのよね。あの丸い吊り手の金具の音も思い出すねぇ」。たたんだ蚊帳の上に病人を寝かすと、床ずれができないということも聞きました。蚊帳には、人さまざまな思い出があるようです。
 「蚊帳に入るときは、団扇でパタパタと裾をあおいでね、蚊を追い払ってから、腰をかがめてさっと入って。立ったまま入ると怒られたね」「蚊帳のなかは何だか別世界みたいでね、むかしは、きょうだいも多かったから、子どもらがはしゃいでね。蚊帳の天井に向けて足を蹴り上げ、足が届くと得意になったり」。捕ってきたホタルを蚊帳のなかに放したりもしました。
 雷が鳴ると急いで蚊帳を吊って、遠くのクワバラ遠くのクワバラと唱えながら、もぐり込み、なるべく真ん中にいるのがいいといわれました。蚊帳は雷よけだけではなく、魔よけにもなると考えられていました。
 道端や畑などに生えるカヤツリグサの茎を採って、その両はしを二人でつまんで裂いていくと、四角い形になります。これを吊った蚊帳に見立てる、子どもたちのカヤツリの遊びも、いまは見られなくなりました。
 
  中島 惠子(狛江市文化財専門委員)