子どもが生まれて三日目に行う祝いごとを、ミツメの祝い・ミツメなどといっています。
 「ミツメってね、生まれた子どもの初めてのお祝いですよね。昔は、家でお産したころには、近所の女衆が寄ってね、ミツメのぼた餅ってね、ぼた餅たくさんつくったんですよ。そいで、嫁さんの親元、仲人さん、親戚、それから隣近所などクミアイにも配ったんです。子どもが生まれたっていう挨拶っていうか、そういうことになるわけでね」。
 大きなぼた餅を「ミツメのぼた餅のようだ」というなど、この日のぼた餅は大きく、それをおつきあいの濃い薄いにより、五・七・九・十一・十三個などと半(奇数)にしてお重(重箱)で配ります。祝いごとだからと小豆のつぶあん一色(ひといろ)だけではなく、黄な粉のものをいくつか入れることが多かったそうです。
 ミツメのぼた餅が届いた家では、半紙に包んでオヒネリにした小豆(まめに育つように)と梅干し、またはシラガ(麻)を、お重に入れて返します。そして、あらためて白米、なまぐさ(鰹節など)、着物、ちゃんちゃんこ等々、それぞれのつながりに応じたお祝いをします。それで、ミツメのぼた餅は、催促ぼた餅とよばれてもいました。
 このようなやりとりは、初子(はつご)または長男・長女までで、そのあとの子どものときには、親元と濃い親戚など、ごく内輪だけのお祝いですませます。
 家でお産をしたころには、サンジョ(産所)は多くの場合、ヘヤとか納戸(なんど)とかよぶ所で、ここには「産神(うぶがみ)様が来されている」と、昔の人は言っていました。ミツメのぼた餅も「産神様に」といって、戸棚か小机の上、あるいは産婦の枕元に供えたそうです。生まれた子が一生食えますようにと、一升ますに三個入れて供えたという家もあったと明治生まれの人から聞きました。
 ミツメのぼた餅は、産婦が食べると乳の出がよくなるといわれていました。病院出産になってからも、少し持っていって食べさせることもあったそうです。
 自宅出産での産婦の話では、ミツメのぼた餅の味は忘れられないといいます。「もう、そのおいしかったことったら、天にも上る心持ちって言うのかねえ。もっと欲しいって、のどから手が出そうくらいだったけど、産婦は食べ過ぎてはいけないって、姑さんに少ししか食べさせてもらえなかった」(昭和三十年出産)。一方、「大仕事が終わって、おなか空っぽ。楽しみにしていたミツメのぼた餅、好きなだけ食べさせてもらって、そのおいしかったこと」(昭和十九年出産)と話す人もあります。
 ミツメのぼたもちは、昭和四十年代からは和菓子屋に頼み、いまでは贈答の範囲を濃い親戚に限って行う家々も見られます。
 なお、嫁どりにもミツメのぼた餅を配る習わしがありました。
  中 島 惠 子
(狛江市文化財専門委員)