-座談会ゲスト-

 ▽相島一之(あいじまかずゆき)さん
埼玉県熊谷市出身
  市内在住  俳優
  舞台、映画、テレビで広く活躍中
  主な出演作品は、「サクラババオー」「オケピ!」「12人の優しい日本人」「世にも奇妙な物語」「新選組!」「純情きらり」「ショムニ」など
  特技は剣道で、趣味は読書

▽山本智子(やまもとさとこ)さん
愛媛県南宇和郡出身
  一昨年まで岩戸北在住  歌手
  平成11年に、デビュー曲「海峡花火」で第41回日本レコード大賞新人賞を受賞。狛江古代カップ多摩川いかだレースに、過去4回出場。2月21日に9曲目となるニューシングルをリリース予定
  趣味は、登山・釣り


出身地や子どもの時の思い出、今の職業を志した動機

【市長】あけましておめでとうございます。本日は多方面で活躍されている俳優の相島一之さん、歌手の山本智子さんをお招きできたことを嬉しく思っています。お忙しいところありがとうございました。
 お二人とも狛江のことをよく知っていらっしゃるということで、狛江にかかわるお話を中心にたくさん伺いたいと思いますし、また市民の皆さんにお二人のことをもっと知っていただける機会になればと思いますので、よろしくお願いいたします。
 最初に生い立ち、出身地のことをお聞きします。相島さんは1961年に埼玉県熊谷市でお生まれですが、熊谷は狛江の多摩川と同じように利根川が流れていて「うちわ祭り」や「グライダーフェスタ」など、イベントも大変盛んな所ですね。相島さんの子ども時代やまちの様子について、お聞かせください。
【相島】
熊谷というまちは、埼玉県の県北の雄とよばれたんですよね。昔の話ですが、地方都市としては頑張っていたというか、一回空襲があって、街が全部焼けてしまい、街中の区画整理が速く進んだということがあって、それで発展したんだろうなと思います。僕が子どもの時は下町で人がいっぱい住んでいて、町内には必ず団子屋、うなぎ屋、魚屋も肉屋も一緒にあってという感じでした。狛江の印象とちょっと似ているんですよ。関東の武蔵野の風景が似ている感じがしました。田んぼがあったり、畑があったり。
 狛江もずいぶん変わりましたね。それでも自分のふるさとに似ているなと思いました。
 子どもの時は、まじめで優等生でしたね。だからどう道を誤って、こっちの世界に入っちゃったかなって感じです。小学校でも中学校でもずっと学級委員をやっていたりして、優等生ってやつですね。高校ぐらいからだんだんドロップアウトっていうんじゃないんですけれども。
【市長】山本さんは愛媛県の南宇和郡のご出身で最近合併したようですね。私は10年前に市長になって最初の夏休みの時に四国一周をしたんですよ。海の青さ、山の緑がすごくきれいだったことを覚えています。山本さんにとって特に印象に残っているふるさとや子ども時代の思い出はどのようなものでしょうか。
【山本】地元の役場では「四国の南のはずれにニッポンの忘れ物をさがしに行こう」をキャッチフレーズにしています。子どもの時は、遊びはかまきりを集めたり、もんしろ蝶を虫かごに100とか200とか集めて、夕方そのかごを開けると一斉に蝶が「ばっ」と翔ぶんです。それがすごくきれいで、それを見るのが毎日の楽しみでした。学校の授業中は、演歌の歌詞を読んでどういう意味なんだろうと調べたり漢字をひらがなに置き換えたりして、どんな歌になるのかいろいろ考えたり、そんなことばかり考えていました。
【市長】山本さんのホームページを拝見したところ、釣りの成果を写真で並べられていますが、けっこう大物も釣っていらっしゃるんですね。そのころから釣りをやっていらっしゃったんですか。
【山本】映画館もファーストフードも娯楽の場所がないんですね。ですから子どもは釣りや山に行ったり、昭和の初めや戦後のころの遊びがずっと続いているような所でしたので。
【相島】僕も四国でロケをしたことがありますが、日本のエーゲ海といわれるほど、本当にきれいですよね。
【市長】本当におおらかに育ったんですね。歌手を志されて、デビュー曲の「海峡花火」で第41回レコード大賞新人賞を受賞されましたが、歌手の道を選ぼうとされたきっかけは何ですか。
【山本】きっかけは着物とかドレスが好きで、着物を着られる仕事っていくつかありますよね。その中から歌手を選んだのは、家族も理解し、応援してくれ、自分がやりたいと思ったからです。
【市長】ファッションから入ったんですか。珍しいですね。
【山本】そうですね。実家が美容室をやっていて、いつも着付けにいらっしゃるお姉さんとか花嫁さんに接して、ああいうにおいやお化粧がすごく好きで影響を受けたと思います。
【市長】相島さんは優等生の道を踏み外して、俳優になったんですね。
【相島】10代のころって、物を考える子どもだったんです。本好きだったんで、本を読んで、映画を見て、だんだん自我が目覚めたときに、何で人間は生きているんだろうという形而上学(けいじじょうがく)的な問題を考え始めて、イヤになっちゃって。
 答えって出ないじゃないですか。このまま生きていてもしょうがないんじゃないか。物書きになろうとか思っていたんですね。それで大学に入ったんですけど、物書きになるのも口だけでなれるわけではないし、そんな時に演劇とたまたま出合ったんですよ。
 僕が5月病になって、こんな勉強しなくてはいけないのかと思っていたところ、同じように大学に出てない友人に出会い、彼らが演劇をやっていて、見に行ったらこれが結構面白くって。そこからなんです。
【市長】最初はどんな芝居だったんですか。
【相島】60年代後半から70年代にかけて、寺山修司さんとか唐十郎さんとかのアングラ芝居で、僕が芝居を見始めたのは80年代の頭なんだけど、まだそのころの芝居のなごりがあったんですよ。
【市長】それを見て、自分もその芝居に入っていこうと思われたのですか。
【相島】そうですね。最初はアングラっぽいのをやっていました。自分たちで本を書いて、自分たちが出るっていう学生のサークルですかね。
【市長】今では「ショムニ」や「新選組!」をはじめ数々のドラマなどに出演され、テレビでの活躍というのは、多くの皆さんの印象にあると思うんですが、ミュージカルや映画にも出演されている中で、メインの場っていうのはどこなんですか。
【相島】あんまり考えてないです。僕はもともと舞台出身なんで、舞台がホームグラウンドになるのかもしれない。もう10年位ずっとテレビ中心に活動していますが、転機になったのは、僕が立教大学で芝居をやっていた大学5年目の時に、日大芸術学部で芝居をやっていた三谷幸喜という人に出会ったことですね。
 

狛江に住むことになったきっかけ、狛江の印象

 【市長】山本さんは一昨年まで岩戸北に住んでおられたと聞きましたが、狛江に住むきっかけは何でしたか。また、狛江の印象はいかがでしたか。
【山本】事務所の社長が狛江に住んでいまして、上京した10年前から近くのほうがなにかと便利なので住みました。人に優しいまちで、治安も良く、きれいで住みやすい所です。
【市長】ありがとうございます。どこか印象に残っている場所などはありませんか。
【山本】6年くらい500円でご飯を食べさせてくれるお店があったんですよ。
 居酒屋でしたが、毎日行ってました。お米とかファンの方から頂いたときに、そのお店に持って行きましたが、思い出に残っている場所です。
【市長】相島さんは5年ほど前から狛江にお住まいになったと伺っていますが、きっかけや印象を教えてください。
【相島】きっかけは、別にここに住みたいというのではなく、家賃が安いからというそんな理由だったんじゃないかな。僕が住んでいるすぐ裏は世田谷区なんです。だから狛江の端っこに住んでいるんです。狛江に越してきたら仕事がうまく回転し始めたのでね。それ以来動けなくなりました。
 交通は不便な地域ですが、最近慣れました。今は成城の駅まで歩くようにしています。僕の足で25分位で、最初はなんて遠いんだろうと思ったんだけど、今はその25分がとても心地が良い。いろんなことを考えたり、ぼんやりして歩くのが。
【市長】相島さんが出入りするお気に入りの店はありますか。
【相島】東和泉にある中華料理店ですね。僕は狛江って面白いなと思ったのは、昔住んでいた新宿、中野や笹塚などと違い、知らない人でもすぐツーカーになっちゃうんですよね。東京の下町ではそうなのかもしれないけど、東京の中では珍しいんじゃないのかな。
【市長】狛江は日本で3番目に面積の小さい都市で、狭い所に人間が凝縮している感じですね。どこのだれとか、お店も共通に認識できるまちなので、顔見知りになれるまちです。
 若い人たちも家賃が安く、交通の便も良いし、大学などの学校にも通いやすいので、たくさん住んでいるけど、22・23歳で出て行ってしまいます。高齢化の中で、若い人が愛着をもって住んでもらうというのが、一つの課題になっていますね。そういう意味ではイベントはふるさと意識を高揚させるものだと思いますが、狛江のイベントをご覧になったことはありますか。
【相島】花火大会を見させていただきました。正直な話、しょぼい感じもありますが、市のサイズと同じように、手ごろな規模で行っているので、いいなと思いました。あと、人から聞いたんですが、以前ほおずき市のステージでやっていたジャズコンサートがすごく素敵だったと聞きました。
【市長】山本さんは、狛江古代カップ多摩川いかだレースにもう4回も事務所でチームを作られて出場されているんですよね。出ようと思ったきっかけは何だったんですか。
【山本】最初に出場した時に、「川面に流れる花筏(いかだ)」という歌詞の歌を歌っていたので、思い出を作ろうと思ったことと、スタッフと一緒に汗を流して心を一つにできればいいなあと思ったからです。
 今年もぜひ参加させていただきたいと思っています。

狛江らしさをつくるために

【市長】狛江はベッドタウンとして発展して、便利さとか住みやすさとかはあるんだけれど、あまり特徴がないんですよ。そこで、一昨年から狛江らしさをつくるための一つの取り組みとして、音楽の街づくりを始めました。
 音楽はジャンルも広いし、色々な分野とコラボレーションできるなど、多くの方がかかわることができるので、まちづくりの軸に据えたいのですが、狛江らしさづくりにむけてアドバイスをいただけませんか。
【相島】狛江には俳優もミュージシャンもいっぱい住んでいるし、調布、砧、緑山、生田などの撮影所が近いため、スタッフも多くいるんですよ。
 僕自身、活動していてしんどいと思うのは、芝居だとけいこ場がないので、もし行政の方が手助けしてくれるのなら、そういった場所を確保していただければと思います。
 借り賃が安かったりしたら、若い人たちもすごく喜ぶと思うし、人が集まってくれば、お店ができたり、まちに活力がでてくると思うんですよ。
【市長】そうですね。けいこ場を作ったら、けいこ場を見学できるようにして、興味を持ったら都心の方へ観に行くというような流れができれば面白いですね。
 山本さんからもアドバイスをいただけますか。
【山本】お祭りなどをやっていることを知ろうとすると広報を手に取って見ないとわからないじゃないですか。私、花火のこと知らなかったんですよ。私のようなまちにあんまり興味のない世代の人たちにも分かりやすく情報提供がされるような仕組みづくりができると良いのではないでしょうか。狛江は非常にコンパクトなまちなので、狛江らしさを生かした取り組みができるような気がします。
 全国のお祭りなどのイベントに行ってみて、スタッフばかりの姿が目立って、お客さんがいないケースも結構あります。そのイベントの情報が行き届いてないんでしょうね。
【市長】広報はどうしても堅い内容となってしまうので、市では市民活動情報誌として「わっこ」を発行しています。お祭り、地域のイベント、頑張っているお店やサークル活動の紹介などの内容を掲載していますが、居酒屋に置かせてもらうとか、もっと多くの人が気軽に手に取ることができるようなルートの確保が必要かもしれませんね。
【相島】一つだけリクエストがあるんですが、図書館はどうにかならないもんですかね。僕、狛江に越してきて一番ショックだったのは図書館が小さいことなんですよ。
【山本】私も図書館には小さくて、暗い雰囲気を感じています。
【市長】確かに市民文化の振興を考えた場合、図書館が土台だと思うんですよ。
 市民の皆さんからの要望も多いですし、今後の学校統廃合・移転を踏まえ、跡地の活用について、地域の人に議論していただき、合意が得られればぜひ新図書館を建てたいと思っています。
 図書館を建設するということになれば、郷土館も入れたいし、市民活動を応援するコーナーも作りたいし、いろいろなものを考えなければいけませんので、宿題とさせてください。

新年の抱負

【市長】それでは、最後に新年の抱負についてお伺いしたいと思います。
 山本さんは歌のほかにもラジオのパーソナリティーの活動も行っていますが、新年は自分の活動の場を広げたり、新たな挑戦を考えているようなことはありますか。
【山本】2月21日に新曲を発売する予定ですので、歌に力を入れていきたいと思います。また、私は話すのが苦手で、ラジオのパーソナリティーは苦戦しているのですが、一緒にパーソナリティーをやらせていただいている作詞家の先生からいろいろと話し方を学べたらと考えています。
【市長】相島さんは、テレビ、映画、舞台、ミュージカルなど多彩な活動をされていますが、新しいことを開拓してみたいとか、こういうジャンルで演技をしてみたいとかいったものはありますか。
【相島】目の前のことを一生懸命やるということ以外、別にないですよね。
 ジャンルを問わず全部面白いんですよ。
 役者はクリエイターではないと思っています。クリエイターという人は、作家であったり、演出家であったり、ディレクターや監督であったり、何か発信していく人、こういうものを創ろうよと言って、ゼロから生み出す人が、クリエイターだと思うんですね。僕ら役者はこういうのがあるからおまえの力がほしいよ、こういうの面白そうだからやりましょうよと言われて、初めて乗っかるみたいな感じなんです。
 ですからあえて抱負を挙げるとしたら「また、新しい良い作品に出合いたい」ということなんです。
【市長】本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
 お二人のご活躍を期待するとともに、ぜひ狛江とのかかわり合いも強めていただくようお願いして、本日の座談会を終わらせていただきます。