平成十九年の五月から六月、都内の大学ではしか(麻疹)が大流行して休講が相次ぎ、予防接種のことなども話題になりました。はしかは主に幼児期にかかって免疫がつくられる、だれもが一度はかかる病とされていましたが、昭和五十三年の秋にワクチンの定期接種が始められてから、患者の発生数は著しく減少してきたといわれています。
 今日では、はしかが恐ろしい疫病などとはとても考えられませんが、昔は天然痘(疱瘡)より死亡率が高かったので、「疱瘡は見目(器量)定め、はしかは命定め」といわれたことを、狛江でも聞いています。
 「『疱瘡は子どもの器量定め、はしかは子どもの命定め』と昔は言ったもので、わしらの知ってる年寄り、植え疱瘡をやらなかった時代の人のなかには、あばた顔の人がいたですよ。はしかはそういった跡は残らないけど、命定めだから、あなどるなってね」(和泉 本橋兼吉さん 明治24年生)
 「『はしかは命定め』ってこと、よくおばあちゃん(母親、明治37年生)が言っていた。冷やすとボツボツ(発疹)が吹き出さないで、なかにこもっちゃうからいけねえって、わたしの子どもがかかったときなど、寒いころだったので、やかんで湯気をうんとたてて部屋をあっためてね」(岩戸 昭和11年生 男性)
 はしかにかかったら、安静と身体を冷やさないことが何より大切で、「はしかには薬はない」といわれていました。
 「上二人の子が、はしかをやったのは、麦ボーチ(棒打)をする梅雨明けのころでした。一人がしょってきたら、うつっちゃうけど、小さいうちに済ませるほうが軽くあがるって、わざとうつるようにもするのね。まだ、学校へ上がる前ごろでした。
 わたしら大人は、刈り取った麦を庭にひろげてクルリ棒で叩くボーチなどで、それこそ大変なの。夕方まで相手になんかなれない。蚊帳をつれば、いくらか風よけにもなるから、そのなかで絵本を見たり遊んだりさせてました。風にあたってはいけないから、外を歩きまわらないように、蚊帳から出ちゃいけないって言いきかせてね。風にあたって身体を冷やすと、赤いボツボツがあんまり出てこない。なかにこもっちゃってね。ボツボツが吹き出てくるほうがいいんだって、よく言ったものです。
 おばあちゃん(夫の祖母)は、はしかにかかった子を『大仕事だ、強い強い』とか、『大役(大厄)を果たして、えらいねえ』なんて励ましたり、ほめたりしていましたよ」(和泉 大正10年生 女性)
 「はしかは大厄」「はしかは子どもの大厄」「はしかが済んで一人前」などと、昔の人は言っていたそうです。はしかは、人の一生のなかの通過儀礼のように考えられていました。
  中島惠子(狛江市文化財専門委員)