青年団 戦後の巻

 戦後、世の中が落ちついてくるとともに、青年たちの活動も活発になってきた。
 すさんだ世の中を少しでも明るくしようと、青年団では夏の夜に盆踊りや映画会をしたり、当時ラジオで大はやりの「のど自慢大会」をして村人とともに楽しんだり、砂利をまいての道路普請、廃品回収など奉仕活動を進んで行っていた。
 農村社会に生きる者にとって何よりも大切なのは農事研究である。そのためには講演会を行ったり、小学校やお寺に集まって農業改善の研究会を行い、その成果は、農産物品評会や、麦立見品評会を開いてお互いに競い合った。
 麦立見品評会というのは、麦実る初夏の頃、一定の面積のなかで、どんなに質のよい麦が、どれだけの収量とれるか、管理状況などはどうかを競うもので、農業協同組合や農業改良普及員の応援を得て行っていた。
 昭和25年度の農産物品評会では、(根菜類)大根(だいこん)、蕪(かぶ)、人参(にんじん)、牛蒡(ごぼう)、葱ねぎ(葉菜類)白菜(はくさい)、山東菜、ほうれん草、小松菜(果菜類)南瓜(かぼちゃ)、冬瓜(とうがん)、隼人瓜(はやとうり)、(洋菜類)レタス、二十日大根、パセリ、コールラビー、(藷類)甘藷(かんしょ)、馬鈴薯(ばれいしょ)、里芋、八ツ頭、長芋、(穀類・豆類)水陸稲籾、水陸稲玄米、大麦、小麦、裸麦、ささげ、落花生、黍(きび)、胡ご麻ま(果実類)柿、柚子(ゆず)、かりん(その他)葉ぼたん、竹、蘭らん、南瓜種子の計423点が出展されている。
 これらを見ると、その頃の狛江では何を作っていたかが、推察できるし、特に多く出品されているものをあげると藷類で、甘藷97点、馬鈴薯32点、里芋25点と続く。戦後の厳しい食糧不足のなか、藷類が珍重された姿が目に浮かんでくる。
 団員同士での運動会や陸上競技会、村内での駅伝大会もよくやっていた。
 特に陸上競技会、駅伝大会は調布町、神代村など近隣の町村と合同で盛んに行っていたし、北多摩郡連合青年団主催の競技会があって、互いに親睦を図りながら技わざを競きそい合った。
 文化面でも北多摩郡青年連合文化祭や、弁論大会、園芸農産物品評会、農業講座などがあって、広い範囲から集まっては、お互たがいに磨きあった。
 しかしこの頃は、公民館はなく、狛江小学校でさえ戦災復興がまだ終わっていなかったが、小学校や中学校の教室やお寺を借りて青年の熱気のある事業を行っていたのである。
 昭和30年代後半になると、狛江町にも都市化現象の波が打ち寄せ、移住者やサラリーマンが多くなったこと、野球、バレーボール、卓球など球技が盛んになり種目ごとの団体が結成されたことなどから、陸上競技会や、陸上競技を主とする体育祭は次第に衰えていくとともにそれらの活動は教育委員会や青年学級に引き継がれていった。
  井上  孝
(狛江市文化財専門委員)