昭和五十年代の初め、小足立で、明治生まれの数人からお話をうかがったとき、年中行事のなかに「梅若(うめわか)」とか「梅若さま」などとよばれる日のあることを知りました。三月十五日という人、また、二月十五日とする人もありましたが、春の訪れを思わせるこの日の行事に、心はずむおもいでした。
 梅の枝をとって大神宮様の神棚や荒神様の棚に上げる家、小豆飯を炊いて仏さま(仏壇)に供える家などもありました。
 「今日は梅若さまだって、小豆のごはんを炊きました。べつに何か飾るのでもなく、仏壇に、仏さまと梅若さまと両方に小豆飯を上げるんです。いまでも(昭和52年現在)、梅若さまの日だって気がつくと上げています。この日、とくに畑仕事を休むってことはなかったですね。
 梅若さまは、梅若丸とかいう子どもでね、隅田川の辺りで亡くなったので、供養する日なのだと、おばあさん(姑)から聞きました。梅若さまは、人買いだか何かにどっかへ連れて行かれる、その途中の道で、病気で亡くなられた人だって言うひともいましたね」(冨永イソさん 明治28年生)
 梅若さまの行事を小足立で知ってから、岩戸で次のようなことを聞きました。「小学生のとき、今日は梅若さまだと、小足立の友だちが言っていたのをおぼえていますよ。何のことだかわからなかったけれど、梅若さまってことばだけは、耳にのこっていたんだねぇ。ずうっと後になって、人買いにさらわれて奥州へ連れて行かれる途中、隅田川のほとりで亡くなったっていう梅若丸の話を知ってね、梅若って、悲劇の子の名前なんだと、あらためて思ったんです」(佐藤キサさん 明治35年生)
 三十何年か前に小足立で聞いた梅若さまの行事について、先日(平成21年一月下旬)、同所の数人の方にうかがったところ、代がわりしたなかで、いまもこの行事を伝えているお宅に出会いました。前にもお訪ねしてお話をうかがった冨永稲吉さん(明治41年生)のお宅で、感慨もひとしおでした。当家では、むかしから二月十五日を梅若さま・梅若などといって、大神宮様の神棚と荒神様の棚に、梅の枝を上げています。そして、この日は雑煮を食べ、アソビ日なので農作業を休む習わしです。
 梅若の日に草団子や牡丹餅など変わりものを作ったり、農作業を休んだりするところは、多摩地方のあちこちにみられます。また、梅若の念仏和讃を伝えているところもあります。
 謡曲「隅田川」の題材となった梅若伝説を伝える墨田区の木母寺(もくぼじ)では、梅若丸の命日(梅若忌 陰暦三月十五日)に、かつては大念仏供養が営まれています。梅若忌は、農村ではその季節の行事と結びついて、さまざまな習わしがのこされました。
  
  中島 惠子(狛江市文化財専門委員)