小田原急行電鉄開通の頃

都新聞より(当用漢字使用)
 昭和二年四月一日 東京・小田原間の走行距離を短縮し、沿道武相の山村開発につとめる目的で計画された小田原急行電車はいよいよ竣工して今日から開通する。起点は省線新宿駅構内で、小田原駅との間に三十八駅がある。時間は二時間と二十分で直行は経堂と多摩川から先に停車するのみであって省線より十一哩(マイル)近くなった。直行は一日二十四回、経堂、稲田登戸までは各六十回発車するさうだ。
 四月二日 車体は最新式を使用し乗心地の良い事は云(い)う迄もない。小田原直通の電車には便所設備が施(ほどこ)してあるのも行き届いた点で、小田原・登戸間複線工事完成の暁は食堂列車を連結し乗客の便利を図るさうである。
 車窓の眺めに尽きぬ興趣(きょうしゅ)をそそられずに居られなかった。新宿を発すると直ぐ明治神宮、…大師穴森玉泉寺、泉龍寺、…稲田登戸の駅の近くは向ヶ岡遊園地がある。駅から園に至る八丁は八間道路で、桜、楓(かえで)、つつじを点綴(てんてい)し、遊園地からは白雲遥(はる)かに、筑波、榛名、秩父の連峰を遠望し、玉川を瞰下(かんか)して面積十万坪、東京近郊絶好の新行楽地として推(お)すに足りる。
 新宿・小田原間は当分四十五分毎に発車で、近く三十分毎に改正の予定。新宿・稲田登戸間は十分毎で之も五分発車に改める筈(はず)であると云ふ。
 四月四日 「代々木の山谷、参宮橋といふ近接した停車場を過ぎて代々木練兵場の裏通りに来ると、送り迎へる雑木林、その間を無数の頬白(ほおじろ)が飛び廻る。それと同じやうに車窓から目に親しんで来るのは此処(ここ)彼処(かしこ)に見える孟宗(もうそう)の藪(やぶ)である。目黒がその名所と呼ばれたのは少なくとも二昔前のこと、今では此の沿線が却(かえっ)て豊富である。
 経堂は世田ヶ谷裏で、大規模な車庫や変電所が出来て居る。附近は一帯の雑木林、林が尽きると青麦の縞(しま)が目に立つ。武蔵野特有のささ濁りの川が見えるかと思へば水車がカタンコトンと廻り、畑の中に紅梅や白梅がしょんぼり立ってゐるかと見れば下から鶏(にわとり)が走り出す郊外住宅といふ一つの形式がこの辺には殊に深く滲(し)み込んで居ると見え、時々それが林の中や畑の向ふから赤い屋根を見せる。
 やがて喜多見につく。砧村である。この附近の元大蔵村には古墳が多く遺り、今も五所の権現などといふ所がある。此処まで来るともう武蔵野の風致は余程変わってきた。
 和泉多摩川へ来ると東京府と神奈川県の境界である。稲田登戸の方では旧暦の桃の節句とて、家々で雛祭りをしていた。駅の附近は一帯の梨畑、花時になったら見事であらう。さて、ここ迄は複線だが、ここからは単線となる。車の故障と停電と、上りの待ち合せで四十分も待った。開業当初とて是非もない。
  井上 孝
(狛江市文化財専門委員)