竹と生活

 松・竹・梅は冬の寒さにも屈しない植物として古くから歳寒三友(さいかんのさんゆう)と呼ばれていた。松と竹は冬の寒さにも色を変えず緑の葉を付け、梅は冬の寒さの中で美しい花を開く。特に竹は節目正しく、真っすぐ成長し、しなっても折れないしたたかさがある。だから新年には松と組んで門松に使い、豊作と家内安全をもたらす歳神(としがみ)を迎える目印(めじるし)にした。
 正月飾りを焼いて楽しむどんど焼きの骨組みも竹である。円錐(えんすい)状に組んだ竹の下には空間があって、大正10年頃までは子どもたちがその中で餅や団子(だんご)を焼き、お汁粉を食べて楽しんだ。
 竹は根を張り、どこまでも伸びる。芽生えた新芽は筍(たけのこ)として農家の収入になる。狛江の筍は「西山の筍」といわれ、品質がよいことで評判だった。また、成長した竹藪は冬の北風を防ぐ。根もしっかりしているので地震に強く、関東大震災の時、竹藪に蚊帳(かや)を吊(つ)って夜を過ごしたという話がある。竹は農家にとって大切な資源だった。
 茅葺(かやぶき)屋根の梁組(はりぐみ)にも使った。今も「むいから民家園」に行くと竹で組んだ屋根裏を見ることができる。囲炉裏(いろり)に下がっている自在鈎(じざいかぎ)の柄(え)も竹である。囲炉裏は一家団欒(だんらん)の場所であり、食事も、夜なべも赤々と燃える火を囲んで行ったものである。
 竹にはいろいろな種類があるが、空洞で縦に割りやすく、加工が容易だから、毎日使う井戸汲み桶(おけ)の柄(え)、物干竿(ものほしさお)、火吹き竹、籠(かご)、背負い籠、笊(ざる)、篩(ふるい)、熊手、竹箒(たけぼうき)、提灯(ちょうちん)、唐傘(からかさ)、行李(こうり)や、樽(たる)、桶(おけ)のたがにも使われている。
 春に養蚕が始まると桑取り籠(かご)や箙(えびら)、麦の収穫が終わると竹の柄のくるり棒で麦打ちをする。ナスやトマト、キュウリなど実のつく植物の支(ささ)えにも使った。
 夏は団扇(うちわ)や扇子(せんす)の骨、子どもが願いを託(たく)す七夕(たなばた)の短冊(たんざく)を下げるのにも、盆棚の台にも使った。
 秋には稲架けとして刈り取ったばかりの稲をさげて乾燥させるのに使った。稲刈りが終わり一息つくと堆肥作りのために多摩丘陵の雑木林に行き枯れ葉を取ってくるが、その枯れ葉を入れる屑籠(くずかご)も竹であった。
 子どもたちの学校生活の中でも物差し、筆軸(ふでじく)、笛、竹べら、竹刀(しない)やバレン、遊びでは竹馬、竹とんぼ、捕虫網、虫籠、凧(たこ)作り、釣竿(つりざお)、どう、びく、そのほか尺八、茶筅(ちゃせん)等、竹は広範囲で私たちの生活に溶け込んでいた。
 店屋で味噌(みそ)や肉を買うと竹の皮で包んでくれた。竹は皮まで剥(は)がして使うことができたから、戦中戦後の食糧難の時代に、衣類など持ち物を食料と交換して胃袋を満たした生活を「筍生活」と言った苦(にが)い思い出もある。
 竹は捨てるところがなかった。廃棄しても、土に埋めておけば自然に返ってくれる。しかし今はその多くが合成樹脂に代わり廃棄後腐ることなく、時には公害の原因になることもある。
  井上 孝
(狛江市文化財専門委員)