昭和10年代の子供達

 田中橋から多摩川にかけては広々とした田圃が続いていた。そして小高い亀塚には雑木が生い茂り、中に一本の椿の木があって紅白の絞りの大きな花を咲かせていた。その頂に上れば富士山や多摩川も一望でき、対岸には梨の木や桃の木が、春には美しい花を咲かせ、夏から秋にかけてはみずみずしい実をつけていた。

 亀塚は子供達のかっこうの遊び場だった。男の子も女の子も木登り、隠れんぼう、戦争ごっこなどに興じ、いつも賑やかな声が満ち満ちていたし、柿の木に登って柿の実を食べても、とがめるものはいなかった。また、そこには古材にむしろがけの小屋ができていて、子供達はそれを芝居小屋と呼び、中で踊ったり、歌ったりして楽しんだ。

 夏になると多摩川はチビッコカッパでいっぱいになった。男の子は赤い褌を締め、女の子はランニングシャツにパンツ姿で流れの中に飛び込んだ。今とは違って水量も多く、流れも速かったが、高学年の子供達はみな泳ぐことができて、対岸に行って遊んだり、持ち物があれば頭にのせて立ち泳ぎで行ったり来たりしていた。

 子供達はいつも異年齢集団で行動していた。そして年長者は年少者の面倒をよく見、遊びを教え、他の集団に対しては守ることを忘れなかった。

 魚取りも盛んだった。夕方ウナギドウを沈めておいたり、流し針に糸ミミズをつけて水の中に垂らしておくと、必ずといっていいほどウナギがかかっていた。しかし、寝坊して引き上げるのが遅くなると、せっかく針にかかったウナギが自分で自分の体に巻きついて死んでいることもあった。

 田の用水堀にはドジョウやタニシ、エビガニもたくさんいた。ドジョウはドウを使って簡単に取ることができたし、食べてもうまかったが、タニシは臭いのであまり食べなかったという。

 エビガニも簡単に取ることができた。カエルの皮をむいて糸の先に結び、棒の先につけて水の中に入れると、すぐにハサミで挟んできた。それを水面近くまで持ち上げて網ですくった。
食べ物のない戦時中には、ゆでて、尾の部分の肉を取って、天ぷらや炒め物にして食べたものもいた。エビのような味がして結構おいしかった。

                                       井 上  孝 (狛江市文化財専門委員)