プロフィール

■野田 朱美(のだ あけみ)さん

日テレ・ベレーザ監督
高校卒業時まで市内和泉本町在住
女子サッカー選手として、昭和57年から平成8年まで読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現日テレ・ベレーザ)、宝塚バニーズレディースサッカークラブで活躍、この間日本代表選手として76試合に出場し、26得点を挙げるなど、なでしこジャパンの草分け的存在。現在、日本サッカー協会理事でもあり、日々精力的に活動している。

狛江とのつながり

矢野 あけましておめでとうございます。昨年は3月の東日本大震災で被災地が深刻な被害を受け、日本全体が沈滞した雰囲気にありました。その中で、女子サッカー「なでしこジャパン」がワールドカップで優勝したことは、本当に全国民を励まし、希望を持って、頑張ろうという気にしてくれました。そうした意味でも女子サッカーにとって、大きな節目の年だったように思います。
 特に野田さんは、小さい頃からサッカーをされていて、中学生で日本の女子選抜チームに選ばれ、その後女子サッカーが最初に採用されたアトランタオリンピックで日本代表のキャプテンを務められてきたので、非常に感慨深いものがあったと思います。また現在、日テレ・ベレーザの監督として、代表チームに選手を送り、その選手たちが栄冠をつかんだということで、大きな喜びもあったと思います。今回、狛江出身の野田さんを新春対談でお迎えできることを大変楽しみにしていました。
 最初に、狛江との関わりについてお話しいただけませんか。
野田 今は緑野小学校ですけど、第二小学校と第一中学校に通いました。高校は市外の学校に行きましたが、狛江が育ちの場所というかふるさとですね。
矢野 狛江のイメージや好きな場所について教えてください。
野田 すごく小さな市で、水と緑がきれいで、多摩川が近いというのがイメージですね。好きな場所はやはり多摩川ですね。多摩川では、子どもの頃からサッカーの練習をしていましたし、大人になってからもつらい時とかぼ~っと見ていたりと、何となく安らぎの場所であり、東京都の中にありながらほのぼのする所なんです。
矢野 サッカーはいつ頃から始められたんですか。
野田 小学校5年の終わりくらいに。男子はサッカー部があったんですが、女子はなかったんです。ただ、狛江市の大会に女子の部もあるからチームを作って出てみないかと誘われて…。それがきっかけで仲の良い子たちを集めて、一中の横のグラウンドでやらせてもらったら、すごく面白かったんです。近隣の小金井市や小平市もその頃すごく女子サッカーが盛んで、チームもたくさんあったので、じゃあこのまま続けてみようかということになりました。
矢野 小さい頃からかなり活発なお嬢さんだったんですね。
野田 そうですね。男子と野球などで遊んでいたんです。でも、意外に思われるかもしれませんが、あまりスポーツは好きではなくて、鬼ごっことかタコ山公園で元気よく遊んでいるという感じでしたね。それから市内全域を使って、泥棒と警察に分かれて行う鬼ごっこの「ドロケイ」をやるのが、一番楽しかったです。
矢野 そして、中学校の時に当時のベレーザに入られましたね。
野田 小学校6年の時に、読売ランドで女子の大会があって、二小でチームを作って出場しましたが、その時に今の東京ヴェルディの女子チームにあたるベレーザというチームができたばかりで、そのチームの方から「中学生からうちでやらないか」と声を掛けていただきました。
矢野 狛江を離れられたのは。
野田 高校を卒業した時ですね。読売ランドのグラウンドの近くにアパートを借りて、仕事とサッカーを両立しながら頑張りたいなと思っていましたので。
矢野 当時の女子サッカー部はどうでしたか。大変だった話はいろいろと聞くんですが。
野田 当時は、まず最初に「女の子がサッカーなんて危ないから止めなさい」と言われるか、「けがをするから止めなさい」と…。さらには「子どもが産めなくなるから止めなさい」とか、そういう時代でしたね。「えっ!女の子がサッカーやってるの」と言われて、驚かれることが多かったです。
矢野 野田さんは、実は広報こまえへの登場は2度目なんですよ。
野田 そうなんですか!?
矢野 対談ではないのですが、平成6年1月1日号で「狛江の魅力ある人」というコーナーに登場いただきました。その時はスイーパーで頑張っている記事になっていましたね。
野田 私は現役の時は、真ん中のポジションは全部経験しました。最初はボランチにいましたが、広報に掲載された時は、スイーパーというセンターバックにいて、その後すぐにセンターフォワードに行って、アトランタオリンピックの時はセンターフォワードでした。
矢野 野田さんに広報に登場いただいた当時は、男子のJリーグが始まって、マスコミにも大々的に取り上げられましたが、女子サッカーにはスポットが当たりませんでしたよね。
野田 そうですね。マイナースポーツの中のさらにちょっと下の方かなという感じでしたね。世の中の人に女子サッカーを知ってもらおう、認めてもらおうというのを常に合言葉にして、それをずっと後輩たちが継承していって今がある。今回のワールドカップの優勝というのは、その時強かったからというだけではなく、何十年もかけてみんなでつないで成し遂げることができたという感慨深いものがあります。

サッカーへの思い

矢野 昨年、あれだけ脚光を浴びましたけれども、これからは一番大事な定着の時期に入ってきますよね。今はサッカー協会の理事もしていると聞きました。今後、女子サッカーをどのような方向に持っていこうと考えていますか?
野田 理事就任の方が監督就任よりも早く、一昨年までは理事として、なでしこジャパンの強化を担当していました。なでしこジャパンを頂点に、その下にアンダー20と17の、全部で3つのカテゴリーがあって、3種類の代表がいるんですけど、代表に関わるすべての強化の担当として、ずっと海外に行きっぱなしでした。どうにかして女子サッカーを広めよう、もっともっと女子サッカーを強くしようというところで、一番のミッションは女子のサッカー人口を増やすことなんですね。そのためのツールの一つとして、なでしこジャパンを世界一にしようと日々言っていました。
矢野 本当に世界一になると思っていましたか?
野田 思ってましたよ。じゃあもう一回同じ大会をやったらどうか?と問われるところはあるんですが。ただ、しっかりつないでいくサッカーを世界は今やってないですね。ドイツやアメリカはフィジカルが強くて身体は大きいのにそれを生かしたものではなく、そこに溺れているというか、すごくアバウトなサッカーを展開しています。今まではそういうサッカーが強かったんです。でも、だんだんそれに対抗するチームが出てきて、日本もそうですし、北朝鮮や韓国などのアジア勢が身体の大きさがない分、違うところでそれに対抗しようとすることを地道にずっとやってきて、今がちょうど追い付きかけているところだと思うんです。
 あと、私が掲げたのは海外慣れというところで、選手をどんどん海外に送ろうというものです。いろいろと賛否両論があったんですけど、私も現役時代に海外へのコンプレックスというのが、一番なかなか振り払えなくて。別に何も劣っていないのに、何となくアメリカ人の方がかっこよく見えたりもするので、フィジカルの差、体力の差を感じながら20年常に代表活動をやっているのに、そこはいつも同じ課題というか、課題が変わらなかったというのがありました。それを海外に行って慣れることで、ヨーロッパのサッカー文化を肌で感じてもらって、コンプレックスをなくし、自信をつけさせる。そして、言葉が話せるようになれば友達もできて、それをこちら側から見たらすごく同等に見えてくるんです。勝つにはこれをクリアするしかないと思っていました。
矢野 ワールドカップが終わってからリーグ戦の観客動員がすごかったですね。わずかな応援団しかいなかったのに、今や行列して競技場に入るのを待っている状態です。感慨深いものがあるんじゃないですか。
野田 そうですね。今は正直不思議な光景だなあと感じています。もちろんブームがあって観に来てくださる方が多いと思うんですけれど、自分たちがいい試合をすることで、そのストックの数字がどうなるかが大事だなと思っています。試合ごとに結果にももちろんこだわるんですけれど、皆さんが喜び、わくわくするようなサッカーを目指して、日々練習に励んでいます。
矢野 野田さん自身は、選手時代のサッカーと、今の監督や理事として全体を動かす立場としてのサッカーと、どう違ってきたと感じていますか。
野田 はっきり言って、現役の時の方がよっぽど楽だったなぁと…。選手には最近「ぜいたくだよ」と怒るんです(笑)。
 選手はサッカーだけやっていればいいんですが、理事や監督になると仕事がすごく増えたし、責任感も痛切に感じるようになりました。ただ、選手は自分の言ったことを忠実にやってくれるので、鏡みたいなもので自分が映し出されてしまうんですね。選手が自分を信じて付いてきてくれるところは、自分も勉強させられます。
矢野 今回の快挙は、多くの若い人も注目したと思いますが、若い人たちに向けたメッセージをお願いします。
野田 今、こうした時代の中で、卵が先かニワトリが先かじゃないんですけれど、私たち女子サッカーは環境を整えてもらうのが先でなくて、常に自分たちが頑張ることで環境を整えていくということを20年、30年かけて実践して作ってきたというのが一番の自慢なんです。何かのせいにするのではなくて、まずは自分でやってみること。今のうちの選手も決して恵まれているわけでなく、働きながら夜の時間を使って毎日厳しい練習を積み重ねて、少しずつ結果を出していくことができました。こうした忍耐強さが、日本人のいいところなので、今の若い人たちももっともっと元気よくやってほしいな。サッカーがきっかけになって、みんなが元気になってくれたら非常に嬉しいですね。
矢野 ところで、ロンドンオリンピックで再び夢は実現できるのでしょうか?国民は非常に期待していると思います。
野田 まさに真価を問われるところだと思います。女子の大会は男子と違い、ワールドカップとオリンピックが続き年であるので、実はワールドカップはプレ大会みたいになっていて、徹底的に分析されます。日本が真の世界一にふさわしいのかがオリンピックで試されることになります。
矢野 これまでの体力勝負から、日本の技術とかチームワークに対応する戦略が出てきますよね。日本はマークされる立場になるから大変では。
野田 今度は追われる身のつらさで、重いプレッシャーが大きくのしかかると思いますけれど、それでもやっていかないといけないと思うし、もし仮にオリンピックで金メダルじゃないとしても、それでもまた引き続き支えてもらえるためにも今私たちが積み重ねていかないといけないものがあると思います。

東京多摩国体

矢野 多摩地域で国体をやってほしいというのを十数年来運動してきて、それが実り来年東京多摩国体をやるんです。会場は分散して開催するんですが、狛江市は男子バレーボールを市民総合体育館で行うことになっています。これを一過性のイベントにすることなく、この機会に市民スポーツを広めたいと考えていて、もっと市民がスポーツに携われるようにできないかと思っているんです。それで学校の部活なども強化していきたい。女子サッカーがあったら生徒は大喜びで参加すると思うんですけど…。
野田 そうなると嬉しいですね。ドイツをはじめヨーロッパを視察で回ってきたんですが、公園が普通にサッカー場になっているんです。日本は土地柄仕方がないんですけど、場所がないというのが、一番大きな課題ですね。
矢野 狛江も全国で2番目に面積が小さい市ですから、そうしたスペースを作るのが難しい。校庭が利用できる学校のラインで、スポーツに近づけていったらいいのかな。
野田 行政とうちのヴェルディが組んで芝生のグラウンドを作って、一般開放したり、試合を観戦してもらったり、いろんな形で協力していけたら理想ですね。私のふるさとなので、狛江でも一緒にスポーツを親しむ取り組みができればいいなと思います。
矢野 ぜひお願いしたいですね。

新年の抱負

矢野 新年にあたり今年一年の抱負をお聞かせください。
野田 今年はまず日テレ・ベレーザで昨年達成できなかった「なでしこリーグ」での優勝!これが一番の目標です。今年はロンドンオリンピック、アンダー20と17の世界大会の3つがあるので、それぞれに選手を日テレ・ベレーザからたくさん送り込んで、合宿が全部重なったらベレーザの選手が一人もいないという状況にしたいですね。また、ロンドンオリンピック後も「この選手はきっと次もエースだよね」って、選手を何人も何人も送り込めるよう頑張りたいと思います。
矢野 本日は長時間にわたり、ありがとうございました。今日のお話を伺っていて、今年は女子サッカー界にとっても、野田さんの夢を実現するためにも、大事な年になると感じました。ぜひ、ワールドカップの成果を根付かせて、地域や学校でも身近なスポーツをしながら、夢を持ち続けられる子どもたちが育っていけばと願っています。
 国体を活用しながら私たちも頑張っていきますが、野田さんもオリンピックの夢実現から地域のチームづくりまで、ご活躍をお祈りしています。

 

お年玉プレゼント

 野田さんのサイン入り写真を5人の方にプレゼントします。ご希望の方は、はがきに「新春対談写真希望」・住所・氏名・年齢に対談の感想を記入の上、1月13日(金)(必着)までに、お申し込みください。応募者多数の場合は抽選を行い、当選者の発表は、写真の発送をもってかえさせていただきます。
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