「ま」コース 地図
泉龍寺(せんりゅうじ)(狛江市元和泉1-6-1)

奈良東大寺別当の良弁僧正が草創したといわれています。江戸時代に、曹洞宗の鉄叟瑞牛和尚と領主の石谷清定が中興し、徳川将軍家から朱印地20石を拝領しました。境内の本堂、鐘楼門、山門、開山堂は江戸時代後期の建築で、市指定文化財に指定されています。また泉龍寺仏教文庫では、同寺所蔵の市指定文化財を公開しています。本堂に安置されている子安地蔵は、まわり地蔵と呼ばれる巡行仏で、巡行の地域は広範囲に及びました。

特別緑地保全地区(弁財天池等)(狛江市元和泉1-7)
 

昭和62年に狛江駅北口の緑地、泉龍寺境内、弁財天池が東京都から特別緑地保全地区に指定されました。緑豊かな環境が維持されているこの地区は、季節感があふれており、多くの市民に親しまれています。地区内にある市史跡の弁財天池は、『江戸名所図会』において、良弁僧正の雨乞いの伝説とともに「霊泉」として紹介され、池の水は干ばつの際にも枯れることがなかったといいます。

むいから民家園(狛江市元和泉2-15-5)
 

荒井家住宅主屋を解体・保存する市民運動から始まり、平成14年(2002)に古民家園として開園しました。園内には二棟の市指定文化財の建造物が移築復元されており、旧荒井家住宅主屋は、18世紀末頃、和泉村(現在の元和泉一丁目辺り)に建てられたもの、旧髙木家長屋門は、安政6年(1859)、覚東村(現在の西野川一丁目辺り)に建てられたものです。「むいから」とは屋根に使う麦わらのことで、古民家園の愛称となっています。

西河原自然公園(狛江市元和泉2-34)
 

自然豊かな公園で、水と緑で安らぎを与える憩いと集いの場所になっています。園内には、約10本の桜が植えられていて、春になると多くの人で賑わいます。また、園内の掲示板には絵手紙が展示されており、人々の目を楽しませています。

  兜塚古墳(狛江市中和泉3-23)

昭和50年(1975)に東京都の史跡に指定された古墳です。直径36メートル、高さ5メートルほどの円墳と確認されています。墳丘を取り巻く周溝は、幅11メートル、深さ0.7メートルほどと想定されます。形態や構造等については、不明なところもありますが、築造された当時の原形をほぼ留めていると考えられます。周溝内からは、円筒埴輪の破片が出土しており、6世紀半ば頃に築造された古墳と推定されます。

伊豆美神社(狛江市中和泉3-21-8)

もとは六所大明神と称し、明治元年(1868)に伊豆美神社と改称されました。字大塚山(現在の水神社の辺りと想定されます)に鎮座していましたが、天文19年(1550)の多摩川の大洪水で流失し、現在地に遷座しました。参道にある石鳥居は、慶安4年(1651)に石谷貞清によって建てられたもので、市指定文化財に指定されています。花崗岩で造られた小ぶりの鳥居で、同様のものが喜多見の氷川神社に所在しています。

万葉歌碑(玉川碑跡)(狛江市中和泉4-14)

『万葉集』巻14の東歌の一首「多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき」が刻まれた歌碑で、松平定信の揮毫になります。文化2年(1805)に猪方村字半縄(現在の猪方四丁目辺り)に建てられましたが、洪水によって流失しました。大正時代に玉川史蹟猶予会が結成されると、松平定信を敬慕する渋沢栄一らと狛江村の有志らが協力して、大正13年(1924)、旧碑の拓本を模刻して新碑が建てられました。

水神社(狛江市元和泉2-36付近)

水神とは、水にまつわる神の総称ですが、稲作に関わりがあると考えられます。六郷用水の水神は、取水口の脇に祀られました。現在の水神の祠は、明治22年(1889)に、六郷用水の恩恵を受けた和泉村外13ヶ村によって奉納されました。また、昭和3年(1928)に六郷用水普通水利組合が奉納した幟石があります。

五本松(狛江市元和泉2-38付近)
多摩川五本松

多摩川のほとりに立つ五本松は、狛江を代表する景観のひとつとして市民に親しまれ、多摩川50景、新東京百景の一つに選ばれている名所です。映画やテレビの撮影にもよく利用されています。