感謝状を贈呈しました

 市では、狛江市が贈呈する感謝状等の基準を定める要綱に基づいて、感謝状を贈呈しています。
 3月25日(木曜日)に贈呈式が行われ、次の方に感謝状を贈呈しました。

  • 小松雅彦(元狛江市行政不服審査会委員)
  • 宍戸泉(元狛江市人権擁護委員会委員)
  • 濱田孝(元狛江市特別職報酬等審議会会長)
  • 栗山昇(元狛江市特別職報酬等審議会委員)
  • 小町富三夫(元中和泉町会会長)
  • 児崎豊満(元元和泉2・3丁目町会会長)
  • 本橋正美(元狛江市農業委員会会長)
  • 荒井孝之(元狛江市農業委員会部会長)
  • 須田和男(元狛江市農業委員会会長職務代理者)
  • 稗田トキ子(元東京都民生・児童委員協力員)
  • 荒井則子(元狛江市民生・児童委員)
  • 池座俊子(元狛江市環境保全実施計画推進委員会委員)
  • 宮川實(元狛江市環境保全実施計画推進委員会委員)
  • 神村佑(元狛江市環境保全実施計画推進委員会委員)
  • 平野竜智(元狛江市まちづくり委員会委員)
  • 有馬守一(元狛江市教育委員会教育長)
  • 千葉眞理(元狛江市教育委員会教育委員)

(順不同・敬称略)
〔問い合わせ〕秘書広報室

都市計画道路事業および都市計画公園事業の縦覧

 都市計画道路および都市計画公園の事業が認可されましたので、関係図書の縦覧を行います。
〔縦覧・問い合わせ〕まちづくり推進課都市計画担当

  事業名 施行期間
■事業認可
(1) 調布都市計画道路事業3・4・2号水道道路線(岩戸南四丁目、駒井町一丁目、駒井町二丁目、猪方一丁目、猪方二丁目、猪方三丁目、東和泉二丁目および東和泉三丁目地内) 令和12年
3月31日まで
(2) 調布都市計画道路事業3・4・16号和泉多摩川藤塚線(岩戸北四丁目地内) 令和9年
3月31日まで

  

■事業の変更認可(施行期間の変更)
  事業名 施行期間
(3) 調布都市計画道路事業3・4・16号和泉多摩川藤塚線(岩戸北一丁目および岩戸北二丁目地内) 令和9年
3月31日まで
(4) 調布都市計画道路事業3・4・23号稲荷前線(和泉本町四丁目地内) 令和6年
3月31日まで
(5) 調布都市計画公園事業第8・2・3号白井塚公園(中和泉三丁目地内) 令和5年
3月31日まで

  

令和3年度予算が成立しました

 令和3年度予算が狛江市議会第1回定例会で可決成立しました。
 予算規模は、一般会計の予算額で見ると、303億2,000万円で前年度比3億9,100万円(1.3%)の増額となっています。
 また、4つの特別会計の総額は166億2,525万円となっています。
 令和3年度も引き続き財政基盤の強化を図ることで、将来を見据えた市政運営に努めていきます。
※詳細は、市ホームページをご覧ください。
〔問い合わせ〕財政課

■会計別予算規模
区分 令和3年度当初予算額 令和2年度当初予算額 前年度比
増減額 増減率
一般会計 303億2,000万円 299億2,900万円 3億9,100万円 1.3%
特別会計 166億2,525万円 167億3,910万円 △1億1,385万円 △0.7%
  国民健康保険 74億1,646万円 77億8,847万円 △3億7,201万円 △4.8%
  後期高齢者医療 20億7,499万円 20億9,082万円 △1,583万円 △0.8%
  介護保険 69億9,462万円 68億3,716万円 1億5,746万円 2.3%
  駐車場事業 1億3,918万円 2,265万円 1億1,653万円  514.4%
総額 469億4,525万円 466億6,810万円 2億7,715万円 0.6%

 

区分 令和3年度当初予算額 令和2年度当初予算額 前年度比
増減額 増減率
下水道事業会計 収益的収支 収入 14億5,677万円 14億5,131万円 546万円 0.4%
支出 13億9,603万円 13億6,626万円 2,977万円 2.2%
資本的収支 収入 3億252万円 4億8,443万円 △1億8,191万円 △37.6%
支出 4億5,838万円 6億3,437万円 △1億7,599万円 △27.7%

今はむかし(その324)

狛江第二中学校開校の頃

 狛江第二中学校出身で東京大学総長の五神真さんが、この3月に退任した。そこで、五神さんが在籍していた母校の開校間もない頃の出来事を振り返る。
 昭和42年4月、白幡菅原神社に近い田んぼの中に鉄筋コンクリート4階建ての校舎が建てられた。元は水田、開校式も入学式も校庭で行われたが、初年度中に体育館もプールもできた。
 入学式で初代校長大八木敏夫氏が話した「やる気」「勇気」「根気」が大切だということからヒマラヤスギ、メタセコイヤなど3本の木が一期生により植えられ、校風として受け継がれた。
 やがて生徒が増えて昭和44年に4教室増築、45年に6教室と図書室を作ったが生徒が増えれば職員も増える。2教室分ある図書室を職員室に、職員室を図書室にして急場をしのいだ。
 開校当初からさまざまな学校行事が行われている。春の全校歩く会では、多摩川堤を是政橋まで往復したり、玉川学園前駅からこどもの国までの往復、渋沢駅から震生湖を回って渋沢駅へ、緑したたる美しい自然の中をみんなで歩いた。
 夏季施設は、43年は五日市の広徳禅寺、44年以後は富士山麓本栖湖畔に宿泊。1日目はバスで富士山5合目、2日目は三つ峠、紅葉台などの山歩き、3日目は朝霧高原や白糸の滝を見学した。遠足も歩くことに重点が置かれ、大山や陣馬山など山登りをよくやったものだ。
 修学旅行は奈良・京都へ。当初は修学旅行専用電車「日の出号」だったが、47年からは新幹線になった。狛江駅南口広場集合、小田急線で小田原乗り換え「こだま号」で京都下車。その日のうちに何カ所かを見学できるようになった。
 その他、体育祭、球技大会、水泳大会、夏季作品展、文化祭、マラソン大会など四季折々の楽しみの中で自主的な活動を培った。
 避難訓練では、町内初の4階建て校舎なので救助袋を使ってこわごわ滑り降りたものである。
 校庭の南には水田が広がり、西は畑。東の方には東名高速道路を走る自動車が見えて旅情をそそる。西の彼方には富士の霊峰、夕焼けの富士は奇麗だった。
 生徒は田畑の中の砂利道を歩いてくる。道端には雑草が繁茂し、春先のレンゲの花は美しい。
 多摩川での水泳は禁止になっていたが、魚釣りなど自然の中での遊びがたくさんあって生徒の良い遊び場になっていた。
 生徒はよく勉強していたし、問題行動の話を聞いたこともなかったが、困ったのは都立高校への進学問題である。狛江町は北多摩郡に属していたから多摩地域の学校ならどこでも受験できたが通学が不便である。そこで狛江にも高校をという話が持ち上がったのは昭和44年のことで、昭和48年にやっと都立狛江高校が開校することになった。
 井上 孝
(狛江市文化財専門委員)