急激な都市化の進行は、狛江の恵まれた自然環境をいつの間にか悪化させていた。生活様式の変化とともに、住宅建設の進行は、家庭からの雑排水や浄化槽の汚水排出を増大させ、さらに工場や事業所の新設は産業排水も増大させることになった。これらの排出は道路わきのU字溝や小河川にまで及び、蚊やハエの発生を促し、伝染病の原因となったばかりでなく、多摩川や野川の汚濁をももたらした。
 また、市全体が平坦地であるため、台風が来るたびに水害に悩まされていたが、特に昭和41年に襲った台風4号による水害は、下水道の必要性を強く訴えることとなった。
 そこで、44年、「狛江市公共下水道計画」を策定、10年の歳月と100億5,000万円の巨費を投じるこの事業のスタートを切ることになった。
 下水道網をめぐらす区域は、市総面積のうち多摩川河川敷を除いた550ヘクタールで、全域を東部(220ヘクタール)、西部(184ヘクタール)、南部(146ヘクタール)の三つの排水区に分けて工事を進めることとした。
 44年12月、東部排水区170ヘクタール分についての事業認可がおり、第1期工事を開始した。
 下水の排水方法には、雨水と汚水を一緒に集めて処理する合流式と、雨水と汚水を別々に集めて、雨水はそのまま河川に放流し、汚水は終末処理場で処理する分流式とがある。さまざまな検討がなされたが、狛江の場合、多摩川左岸は地勢が平坦で河川が少ないため、雨水の排除に苦慮していた。そのため、東部、西部排水区は合流式、多摩川に接している南部排水区は分流式を採用した。
 工事自体も、既存の道路に下水道管を敷設するのであるから、困難を極めた。 深夜に及ぶ工事もたびたびであった。
 第1期工事は、47年に至ってようやく完成。続いて、第2期工事(西部)は50年に完成。最後に、54年3月、第3期工事(南部)が完成し、総延長約134キロメートル。市民が待望する公共下水道100パーセントの完成をみた。
 このとき、全国の自治体で4番目の公共下水道の完備都市となり、これまでたびたび繰り返されてきた水害に対する憂いからも解放されることとなった。