令和8年1月15日号特集インタビュー記事(狛江湯)
特集「狛江×銭湯」狛江湯インタビュー
広報こまえ令和8年1月15日号の特集で銭湯を取り上げ、それぞれの店主さんにお話を伺ってきました。
紙面の都合で掲載しきれなかった内容も含めて、インタビュー記事としてホームページで公開します。
狛江湯は令和5年4月にリニューアルオープンし、清涼感のあるスタイリッシュな銭湯に生まれ変わりました。
狛江湯の概要
所在地 :狛江市東和泉1-12-6
営業時間:午後1時~11時
定休日 :毎週火曜日
電話番号:03-3489-3881
ホームページ:https://www.komaeyu.com/
入浴料 :大人550円、小学生200円、未就学児100円(都内統制価格)
※サウナ等は別料金
■開業当時のこと
狛江駅からほど近い場所にある銭湯「狛江湯」の三代目の西川 隆一さんにお話をお伺いします。
【インタビュアー】
狛江湯は開業した頃のことに教えてください。
【西川さん】
「狛江湯」は、昭和30年に狛江町(当時)で最初の銭湯として、私の祖父母が開業しました。昨年に丸70周年を迎えました。
もともと私の祖父母は中野区で銭湯を経営していたのですが、郊外の広い場所で銭湯を始めたいと考えて新しい土地を探したところ、狛江駅に近い場所を紹介してもらい、銭湯を新築して開業しました。

(創業当時の狛江湯付近の様子)
【インタビュアー】
開業当時、狛江のまちの様子はどのようだったのでしょうか。
【西川さん】
開業前は小田急線の成城学園前駅から登戸駅の間には銭湯がなく、狛江駅から少し離れると一面、田園風景だったと聞いています。
その後、都市化が進むとともに、お風呂のないアパートや貸家が次々と建ち、銭湯の利用者も増えたため、今はないですが松原交差点近くに「喜久の湯」も新設しました。
当時は薪で炊く銭湯であったため、燃料にする古い材木をリアカーで遠方から運んできたりと大変だったそうです。
昭和40年代に入ると一般家庭に風呂が普及したため、最盛期には10軒以上あった市内の銭湯も減り始めていき、今では3軒のみとなっています。

(ビル型銭湯に改築される前の狛江湯)
■現在に至る経緯
【インタビュアー】
その後、現在に至る経緯を簡単に教えてください。
【西川さん】
先代の祖母が亡くなったのち、二代目として私の母親を含む姉妹4人に経営が引き継がれ、平成4年に今のビルを新築し、2階以上に集合住宅を構え、1階部分にガス釜で炊くビル型銭湯になりました。
私は川崎市麻生区で生まれ育ちましたが、狛江湯には中学生くらいのときから掃除の手伝いで来るようになっていました。その後、美大を卒業して、映像の会社で働いたのち、平成20年に狛江湯で働くことにしました。
【インタビュアー】
西川さんが三代目として狛江湯を継ごうと思ったきっかけを教えてください。
【西川さん】
祖父母が始めた当時は、銭湯が狛江になかったため公衆浴場が必要とされていました。どちらかというと「商売」ではなく「インフラ」としての役割がありました。これは狛江湯に限った話ではなく、昔は風呂がない家がほとんどだったため、人々の生活のために銭湯をやっている発想の人が多くて、何もしなくてもお客さんは来てくれているので商売としては成り立っていました。新しいことはやらず頑張らなくてもよい風潮があったと思います。ですが、今は風呂のない家はほとんどなく、銭湯は生活インフラとしては必要とされなくなったのです。
そういう中でも未来に必要とされる銭湯を作りたいという想いのもと、三代目として狛江湯を継ぐことにしました。

(狛江湯の店主の西川隆一さん)
【インタビュアー】
人々の銭湯に対する意識の変化をどのように感じていたのでしょうか。
【西川さん】
三代目として狛江湯を継いだあと、リニューアルへの想いを強くしたのはコロナ禍の時です。コロナ禍では国などの要請で飲食店が開けられなくなったときでも、銭湯は人々の生活に必要な衛生管理という観点から自粛要請は出ませんでした。区域外への外出も制限されている中でも銭湯に多くのお客さんが来てくれていました。社会情勢がどのような状況になっても銭湯は人々に必要とされるということをそのとき確信しました。
また、飲食店が遅くまで開けられないとき、若者たちが夜に飲みにいくのではなく、友だちと一緒に銭湯に来るようになっていました。それまで利用していなかった人たちにも銭湯やサウナの魅力が伝わりわかるようになり、それが習慣になり、趣味になっていった人も多くいたと思います。昔は趣味でサウナという人はいなかったですが、今ではサウナめぐりが趣味という人も増え、「サ活」という言葉も生まれました。
こういったコロナ禍で人々の価値観や時代の変化を実感し、地域の方々や若い人達が集う場所やコニュニティとしての可能性を感じたことをきっかけに、狛江湯をリニューアルしてさらに魅力的な場所にしたいという想いを強くしました。
■リニューアルについて
【インタビュアー】
リニューアルの構想について教えてください。
【西川さん】
調べてみると私の思い描くような銭湯の設計ができる建築家は少ないことがわかりました。そこでいろいろな銭湯を見に行った中で、錦糸町にある「黄金湯」がイメージとして近かったので、設計したスキーマ建築計画に問い合わせたところ、狛江湯にも興味を持っていただき一緒にやっていただけることになりました。
【インタビュアー】
リニューアルのポイントを教えてください。
【西川さん】
リニューアルにあたっては単にオシャレにするだけでなく、銭湯やサウナは高いクオリティを提供することを重視して検討を重ねていきました。リニューアルされた狛江湯には、42℃のあつ湯、ジェットバス、高濃度の炭酸泉、オートロウリュサウナ、水風呂を備えています。
【インタビュアー】
狛江湯ならではの魅力を教えてください。
【西川さん】
狛江は水と緑のまちと言われるだけあって、水が魅力なんです。多摩川にも近く、国分寺崖線から流れる地下水が豊富で、良質な水を井戸で地下からくみ上げています。
浴室内のタイルは多治見市のタイルメーカーにオーダーメイドで依頼し、特注の淡いグリーンで統一しています。窓から見える緑との親和性も良いので気に入っています。
外観も大きく変わりました。二代目の銭湯になった時から、薪炊きからガス炊きに変わっていたため、ビル型のえんとつがない銭湯になっていて、かつ銭湯の入口が奥まっていたこともあり、近隣の住民でも銭湯がここにあることに気付かない人も多かったです。このため壁を取っ払って開放的にして、銭湯の入口も道からも見えるような場所にしました。
銭湯の入口の番台は、併設するカフェバーの注文カウンターとしても使用しています。銭湯を利用してもしなくても、カフェだけの利用も可能で、年齢関係なく、学生もふらっと来やすいのも魅力です。
この併設するカフェバーでは、クラフトビールや食事を楽しめて、誰もが居心地の良い時間を過ごせるように工夫しています。
近隣の小田急線沿線エリアでオートロウリュを備えたサウナのある銭湯は狛江湯しかないため、市外からもサウナ好きの方が来ていただいています。
このように狛江湯という場所を銭湯だけではなく、建築、アート、食を楽しめる空間にしたかったので、多様な目的をつくることを念頭にリニューアルを行いました。狛江湯をリニューアルするときに大切にしたことは、若い人がいきいきと働ける場所を作るということでした。実際にいま狛江湯で働いてくれているスタッフはダブルワークの人が多くいます。音楽やデザインなどさまざまなバックボーンを持った人が働きながら自分を高められる場を提供することを大事にしていたので、たくさんの人が狛江湯で働きたいと言ってくれるのは嬉しいですね。

銭湯経営やまちづくりについて
【インタビュアー】
銭湯経営で大切にしていることはどんなことでしょうか。
【西川さん】
銭湯の関連産業や銭湯をなりわいにしている人達も大切にしていきたいと考えています。リニューアル工事時においてタイルや配管は銭湯の専門業者をきちんと使うようにしています。銭湯を支える業者には専門の技術があるので、トラブルがあったときにも対応できるように繋がっている必要があると考えるからです。こういった銭湯の技術も含めて文化や産業として残していきたいと思っています。
【インタビュアー】
若い人が狛江湯を目指して狛江駅を降りる人たちをよく目にするようになりました。
【西川さん】
本当にありがたいことです。実はリニューアルのときに「狛江湯」という名前も変えようと思ったのですがあえて変えませんでした。少し大げさかもしれないですが、結果的に狛江湯が狛江の名を広めている効果もあるのではないかと思ったりもします。例えば、テレビの街歩き番組で狛江の露出が増えたのは、もしかしたら番組スタッフが狛江湯のユーザーであるという可能性もあるかもしれません。人を外から呼び込むとそれが少しずつ影響して、狛江という名が外に広がっていく効果もあると思います。また、銭湯の後のサ飯(サウナ後に美味しい食事も楽しむこと)で近隣の飲食店に足を運んでいただければ、狛江の経済にもいい影響があるかもしれません。
【インタビュアー】
確かにそうですね。まちを活性化させていくために何が必要になると思われますか。
【西川さん】
人々の行動範囲は半径5キロくらいはあり、狛江市内だけでは実は完結しないのです。狛江市を超えないように線を引いてしまうと商売として成果が出なくなってしまいますので、商売をしていく上では狛江市内だけでなく、それより広い外のエリアの人たちに来ていただく必要があります。狛江市内だけに執着しないことが大事だと思っています。
狛江湯ではえんがわ市というイベントを定期的に開催して、市外のお店を多く呼ぶようにしています。そうすれば、狛江と市外のまちが土地と土地で繋がり、狛江に来たことがない人が狛江駅を降りるきっかけになります。そうやって外から呼び込んだ方が経済効果はあるので、外のまちと積極的に繋がっていく必要があると考えています。
また、狛江というエリアに対しての客観性は持っていた方がいいと思います。狛江が好きでも嫌いでも、どちらであってもお店は良くしていかなければいけないですし、むしろ狛江の悪いところは知っている方がよいのかもしれないとも思っています。まずは自分のお店の商売として成り立たせることを目指していますが、狛江に良い店がたくさんできれば、まちがもっと良くなる。狛江が良いまちになれば、お客さんが増える。すべては繋がっているので、皆が自分のお店を良くすると狛江がもっと良くなると思っています。
■今後の展望など
【インタビュアー】
最後に今後の展望などについてお聞かせください。
【西川さん】
インフラとしての機能を終えた銭湯がどのように社会に必要とされるようになるかを常に考えています。昔は風呂がなかったから、毎日銭湯に来る場所で、そこで会話が生まれて、いろいろな情報が交換・共有されていたため、情報発信のメディアとしての機能がある空間でした。メディアとしての需要を上げていくためには、新しい情報を発信していく必要があると考えています。例えばイベントを開催して人を呼び込むことで、新しい情報を流すことにつながっていきます。
このように狛江湯は単なる入浴施設にとどまらず、地域の「メディア」としての役割も担っていくことを目指しています。情報の交流の場にもなることで、地域の人々のつながりを深めたいと考えています。
コロナ禍において客層や意識が変化したことを受け、銭湯に若い人々の集まる場所になりました。これからも今後も多彩なイベントを通じて、地域とのつながりを大切にし、銭湯以上の価値を提供したいと考えています。
【インタビュアー】
本来の銭湯の良さを残しながらも、開放感のある魅力的な空間にリニューアルされ、進化し続ける狛江湯のこれからの動向にも注目しています。今日はありがとうございました。

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