「狛江百塚」とは、狛江に多くの古墳があったことを称した言葉です。かつて郷土史家の石井干城氏は、市域の塚の分布調査を行い、この調査資料をもとに昭和35年(1960)と昭和51年(1976)に改めて古墳分布調査が行われました。昭和51年の分布調査では、古墳と認められるものは51基あると判断されました。
 狛江駅北口再開発工事の発掘調査や小田急線の高架化にともなう発掘調査では、古墳の周溝が発見されました。こうした古墳は、石井氏がはじめに塚の分布調査を行った時点で、すでに確認できる状態になかったと考えられます。市内には「狛江百塚」にふさわしい数の古墳があったと考えられます。

北口再開発工事時の発掘(方形周溝墓と古墳周溝)

 

小田急線高架化工事時の発掘(古墳周溝)