小田原急行鉄道の初めの計画には、狛江駅はなかった。しかし、駅の設置を熱望した村人たちは土地を寄付してでも電車を止めてもらおうと考えて募金運動を始めた。そして、集まったお金で猪方の山口桑太郎さんから土地を買い入れ、小田原急行鉄道に寄付したという。今盛んに行われている地元負担駅の走りといえよう。そのために狛江駅の開業は電車開通からニカ月遅れた昭和二年五月二十七日である。
 当時の駅は屋根も跨線橋もなく、小さな待合室だけがホームの中ほどに建っていて、チョコレート色の電車がほぼ十分おきに発車していた。それもたった一両で乗客はほとんどいなかった。
 駅の南側には弁天池を水源とする清水川が線路の下を流れ、今のロータリーのところから猪方方面に流れていた。そして久保田医院の南は湿地帯で、葦が生え、城南信用金庫と都民銀行の中間の辺りに洗い場があって、農家の人たちが収穫したばかりの野菜を洗っていた。
 せっかく駅ができた以上小田急側でも駅前の発展を考えていた。その結果駅前に分譲住宅を作るとともに、買い物の便を考えて四軒の店舗付き住宅を建てた。最近まであった理髪店から亜久亜までの場所であるが、理髪店はもっとも早く開店した一つであった。他の三軒には当初鮮魚店、青果店が入っていたが、昭和十二年頃までには皆店じまいして、しもた屋になっていた。
 やがて郵便局ができ、菓子屋(都堂)ができ、隣に蕎麦屋(栄久庵・今はない)、雑貨屋(大和屋・今は酒屋)ができて、やっと駅前らしい趣きを形成することになった。しかし、商店街としての発展は戦後のことである。
 三角屋根の駅舎、線路に添って一本おきに立つ鉄柱(その後運行車両の増加で鉄柱の数も増やしていった)に、今なお小田急線開通の歴史が残されている。