昭和48年秋、突然として起こったオイルショックは、それまでの高度経済成長の流れを一変させ、国民の日常生活に大きな影響と不安を与えた。
 物資の使い捨ての時代は去り、不足する物も多く現われ、物価の上昇も著しく、日常なくてはならない生鮮食料品には、特に一般の関心が高まった。
 これらの値上がりを抑えて、市民の生活を安定させるための行政の施策として、当時、農業生産の中核として各方面で活動していた農協青壮年部に協力を求め、49年度から年額60,000円の補助金を出し、市内産の新鮮な野菜を市民に安く提供してもらうべく産地直売事業を始めてもらった。
 この産直事業は年数回、農協、都営狛江アパート広場、市役所前市民ひろばなどの会場で行われたが、当初は準備をしているうちから大勢の人だかりで、売り始めるや、たちまちに売り切れた。売り手の人たちも応対になれないため、売上金の計算が合わないなど苦労が多かった。
 また、以前から産業祭などにも出店して市内産野菜の評価を高めていたが、市民まつりに野菜を満載してつくった宝舟の宝分け(野菜の無料配布)は好評を博している。63年からは農協の本支店で毎週土曜日の午後、生産者が荷を持ち寄り、野菜の直売を行っている。
 また一方では、農家の庭先や野菜畑で新鮮な野菜を直接求める消費者も多くなり、50年代に入ると農家が庭先や畑の傍らに簡単な棚をつくり、自家産の野菜を売るようになった。
 手作りの棚などに野菜を並べて、無人ではあるが、消費者は傍らの札に表示してある代金を決められた箱に入れ、野菜を持って帰るという方法である。
 農家としても、収穫物を遠い市場まで出荷する手間が省け、少ない量でも現金になるので、この無人スタンドは次第にその数を増していった。
 しかし、場所によっては、代金の入りが売上に合致せず、次第にそれが甚だしくなったので、人がつき、野菜の品揃えを多くして販売する所も出てきた。
 野菜の庭先販売は、消費者も新鮮な野菜が安価で手に入るので人気があり、また生産者としても市場へ出荷して買いたたかれることもなく、適切な値段でで売れるということで、市内野菜は産直とともに市内でそのほとんどが消費されている。
 昨今、土地の価格の高騰につれ、都市農業への風当たりも強いが、新鮮で安全な市内産野菜の販売は、消費者と生産者のふれあいを深め、地域の農業に対する一般市民の理解にも効果をあげている。