社会福祉法人・狛江市社会福祉協議会の前身は、昭和40年6月に発足した北多摩南部社会福祉協議会である。
 手元に残る41年の会員名簿を見ると、個人正会員は狛江町の民生委員の19人だけで、団体会員としては、南部事務所管内の三鷹、府中、調布、小金井、狛江の私立保育園20、保護施設4、医療関係機関5、狛江の老人クラブ2で、それに特別会員として故石井三四郎町長だけであった。
 その後、45年の市制施行を前に、当時の民生委員協議会総務で故人になられたが今中武義氏が中心になり、当時の狛江町長冨永和作氏をはじめ、民生委員協議会、保護司会、福祉団体、婦人会などの協力を得て、同年5月22日に狛江町社会福祉協議会が発足した。
 初代会長は、故今中武義氏、副会長には故永田カノ氏、松家豊氏が就任した。事務局は、狛江町福祉課職員が担い、専用の事務所もないような状況でのスタートであった。
 当時の会員は正会員40人、賛助会員299人、特別会員46人と少なく、45年度の会費収入は47万500円、歳入決算総額も148万余円しかなく、収入基盤、職員体制とも貧弱なものであった。
 また、実施事業も、歳末たすけあい事業、世帯更生資金の義務的事業のほか、民生委員協議会委託による一人暮らし老人調査、社会福祉だよりの発行など18事業と少なかった。
 その後、経済成長につれて社会のゆがみが顕在化し始めるとともに、社会ニーズも多様化する中で、社会福祉協議会の体制強化と事業の拡大を図る必要にせまられ、東京都の指導もあって、49年12月に厚生大臣の認可を得て、社会福祉法人として再出発することになった。その約半年前、自前の事務局職員が2人配置され、初代事務局長に故佐々木盛弘氏が就任した。事務所は福祉会館の1階に確保された。
 狛江町社会福祉協議会として発足から20年になるが、63年度に同協議会で実施した市民福祉意識調査によると、社会福祉協議会そのものの存在を知っている人は5割以下、事業については福祉バザーを除いてほとんど知られていない状況でまだ周知度は低い。
 福祉バザーも平成元年で12回を数え、また63年10月からスタートした、市民の相互扶助で行う在宅福祉サービス(笑顔サービス)は、高齢化社会の中で同協会の存在をアピールする大きな事業になってきている。
 社会福祉協議会は、社会福祉事業法を根拠に設立されているが、当時の法律では、都道府県協議会についてしか明文の規定はなく、法律約には認知されていなかった。関係者の運動の結果、58年10月1日に全国市町村社会福祉協議会の法制化が実現した。
 なお、平成元年3月30日、厚生省の福祉関係三審議会(中央社会福祉審議会、身体障害者福祉審議会、中央児童福祉審議会)の合同企画分科会は、「今後の社会福祉のあり方について」という意見具申を厚生大臣に提出したが、この中で、「地域における在宅福祉の推進を図る上で、社会福祉協議会の本来の機能が発揮されることを期待する…」と述べており、社会福祉協議会の役割はますます重要になっている。