慈恵第三病院は、昭和24年に東京重機から土地を買収して、翌25年7月19日に東京慈恵会医科大学附属第三分院として開設された。
 東京重機のこの土地は、本社事務所、組立工場、食堂、銃床工場などがあったところで、20年10月5日にアメリカ第8軍96軍医大隊に接収され、その後、23年8月2日までアメリカ軍の衛生材料補給部隊が使用していた。この補給部隊があったところを利用して慈恵病院が設立され、現在に至っている。
 開設当初、この付近には総合病院がなかったため、周囲の住民から大変喜ばれた。
 また、狛江の村民は、役場で発行する診療券を地元のこの病院で利用すると、多少は安く診療を受けられた。国民健康保険制度がまだないころの話だっただけに、この券は大変重宝された。
 診療科目は、内科、産婦人科、眼科、小児科、外科、耳鼻咽喉科、整形外科、放射線科の8科、ベッド数は一般が59床、結核ベッドが201床で、今では考えられないことだが、当時は結核患者が多か
った。
 現在では、診療科目は泌尿器科、麻酔科、歯科、精神神経科、皮膚科、形成外科、理学診療科が増設され、計15科と充実され、ベッド数も一般553床、結核49床となり、地元病院としても貢献している。