狛江に初めて福祉作業所が設置されたのは、昭和56年4月7日のことである。
 福祉作業所は、障害程度は比較的軽いものの一般企業等での雇用が困難な人や法内施設(授産施設)を利用できない知的障がい者を対象として心身障がい者の働く場の確保と、作業を通じて共同生活や人との協力の習慣等を体得し、社会性の向上を図ることを目的とした施設である。
 54年の養護学校義務化以降、障がい者の全員就学は実現したが、養護学校卒業後の手立ては、教育行政の分野においても、社会福祉行政の分野においても十分ではないという状況の中にあって、知的障がいの子を持つ親の組織「狛江市手をつなぐ親の会」から福祉作業所の設置について強い要望があった。「施設の運営は、親の会自らが行うので、施設づくりは行政が援助してほしい」というものであった。
 この訴えに対し、市は迅速に対応し、石井敏造氏から495平方メートルの土地をお借りし、66平方メートルのプレハブ施設をリースにより建設した。訴えからわずか1年未満で完成するという早さであった。
 56年は、国際障害者年である。現在は、障がい者に対する理解が相当進んではいるが、当時はそれほどではなかったため、福祉作業所建設予定地付近の住民から反対があるのではないかという心配があり、親の会のメンバーが、付近住民に理解を得るため説明して回り、無事に実現した。現在では、付近の人々も一層理解を示し、作業所の主催する「梅まつり」等を一緒に祝い、激励してくれている。
 この福祉作業所も、60年頃になって、養護学校卒業生の増大で狭くなり、駄倉地区センターの建設に合わせ、第二福祉作業所を建設することになった。総額5,890万円で建設し、62年4月に開所した。駄倉地区センターの1階の全フロアー164平方メートルが作業所である。
 平成元年5月現在、第一福祉作業所に12人、第二福祉作業所に11人の作業生が元気に通所しており、紙袋の制作、カタログ・チラシ封入等の作業に励んでいる。
 また、作業のほか、体力づくりや梅まつりなどの各種行事も行い、楽しい毎日を送っている。平成元年1月には、市内出身の篤志家から国技館での力士の引退相撲に招待され、初めてみる国技館での大相撲に歓声を上げていたのが印象的であった。
 これからも地域住民のあたたかい理解に支えられ、作業生が充実した人生を送れるよう願ってやまない。