狛江市における大型店出店反対運動の最初は、昭和52年7月に出店計画が提出されたスーパーいなげやに対してであった。
 当時は、現在のような大規模小売店舗法や小売商業調整特別措置法といった調整法令等がなかったため、東京都の指導要綱に基づき調整が行われていた。地元出店対策協議会との約30回に及ぶ話し合いの末、協定が締結され、同年11月に開店した。この時期は、全国的に大型店の出店ブームで、大型店との紛争が各地で起こった。当市でも、大型店の出店に対し、売上の減少を懸念する地元商店の反対が相次ぎ、大型店の出店計画が何件もあったが、いずれも話し合いの席で、出店計画を取り止めた。
 54年、大店法が施行され、そのブームは去るかのように思われたが、引き続き出店計画があり、紛争は続いた。同年7月に岩戸南の狛江ボウル跡地に高島屋ストアーが出店計画を表明したのに対し、反対同盟が結成され、工事着工時には大勢が座り込むような強力な反対運動が起こり、約3年後に出店中止となった。また、この時、すでに営業を行っていた慈恵医大病院隣のOKストアーからテナントの一部入れ替えと、営業時間の問題で大店法に基づく申請があったが、これは周辺商店会との話し合いの結果、同年12月に協定が締結された。
 続いて56年7月、成城グリーンプラザ別館で営業していた高島屋ストアーからスーパーシズオカヤに変わる計画があった。この店の所在は調布市だが、商圏は狛江市と調布市とにまたがるという変則的な条件の中で、両市の出店村策協議会との間で約20回に及ぶ話し合いの末、同年8月、協定が締結され、翌9月に開店した。
 さらに、56年6月に京王ストア一和泉店のコンビニエンススタイルによる出店計画があった。
 これは、面積的には、大店法には該当しないため、新しい都の要綱により調整され、同年12月にオープンした。
 翌57年2月には、サンバード狛江和泉店の出店計画があったが、これも同様に大店法に該当せず、都の要綱により調整し、地元対策協議会との話し合いの末、6月に協定を締結し開店したが、わずか3年目で閉店している。
 58年9月、狛江駅前のマンションにスーパー三和の出店計画があり、強烈な反対運動が起こった。これは、マンション建設との関連で、宅地開発指導要綱による指導と都の建築確認許可も関連し、大変混乱したが、地元商店を中心とした対策協議会と約20数回に及ぶ話し合いの結果、協定が締結され、59年9月にオープンした。
 この問題が落ち着いた60年8月、岩戸南にマルエツの出店計画があったが、これも反対運動が起こり、すぐに中止となっている。
 最近では、62年12月、小田急OXの小田急立体イヒ工事に伴う仮店舗出店計画があり、地元対策協議会と10数回に及ぶ話し合いの結果、63年7月に協定を締結し、同年12月にオープンしている。