奥秩父の笠取山に源を発する多摩川は、延々138キロメートルを流れ東京湾に注ぎ、その清らかな流れはかつては数多くの魚族を育み、流域の人々はさまざまな漁法で魚を捕っていたようである。
 明治から昭和の初期にかけて、多摩川には大勢の行楽客が訪れるようになり、人々は清冽な流れに鮎料理を楽しんでいた。狛江でも、行楽客を前にして「鵜飼」をはじめ、「跳網」や「投網」、「寄せ網」などの漁法で職漁者が実演して見せる観光漁業が、多摩川流域を中心に盛んに行われていた。中和泉4丁目に玉翠園(現在は日本興業銀行の社宅となっている辺り)という料亭があり、かつては多摩川の入り江に面していたので、屋形船が回遊していたといわれている。また、駒井町3丁目にも川仙という川魚料理を主とした料亭があり、多くの人々が訪れていた。
 戦後10数年もすると、堰堤や護岸施設ができ、工場からの汚水や農薬、生活雑排水の流入で水質が悪化し、また中流から下流にかけて至る所で行われた砂利採掘のために、川床は1メートル以上も下がり、河川環境も悪くなり、魚類はほとんどいなくなったが、昭和35年頃まではまだ、多摩川最下流(大田区田園調布)で白魚漁が行われていた。現在では、多摩川の伝統漁法は実演という形で行われるだけである。45年頃の多摩川は、水面に洗剤の泡が浮かび、あたりに異臭を放つなど河川環境は最悪の状態となったが、50年代に入ると、工場排水の規制強化や下水道整備等で、生活雑排水も徐々に処理され、多摩川は、清流を取り戻しつつある。
 狛江市漁業組合が所属する多摩川漁業組合(拝島〜東海道六郷鉄橋)が、ここ10数年、アユ、コイ、フナ、ウナギ等を放流し続けており、狛江地区でも、毎年、コイ50,000匹、 フナ50,000匹、 アユ20,000匹を放流しており、最近では、天然アユのそ上も見受けられる。48年当時、年間10,000人(狛江周辺)近くいた釣人が、現在では10分の1に減っているものの多摩川には今もなお、レジャーを楽しむ多くの人々が訪れている。都市と自然の共存を目指して、河川の環境を改善し、水と緑の豊かな水辺環境づくりを進めていくことが今後の課題といえよう。