昭和45年3月に、地方自治の一部を改正する特例法、いわゆる三万都市法が成立し、狛江町は市制施行の実現に向け大きく動き始めた。
 町議会では市制施行のための推進委員会を置き検討を始めたが、町長部局でも各課長を委員とする準備委員会を設けたり、市制担当の係を配置するなど具体的な準備におおわらわであった。
 その準備の一環として、4月15日号広報で、市制施行についての町民アンケートを実施し、5月に市制施行に関する広聴会を開催し、広く町民の意見を聞いた。
 そのアンケート、広聴会の場で、「市制施行に伴って市章(市のシンボルマーク)を作った方がよい」との声が寄せられ、これが市章を制定する契機となった。
 市章の制定に当たっては、図案を町民から募集することとした。7月1日号広報で、「狛江市の特性を表わし将来都市としての飛躍発展を象徴するもの」をテーマに、町民に応募を呼び掛けた。市制施行の予定日は10月1日。それまでには制定しなければならないということで、時間的に余裕がなく、募集の期間は7月末日までの一月であった。
 しかし、短い募集期間にもかかわらず寄せられた作品数は136点。応募作品は、早速、8月15日に、日本南画院常務理事・河口楽上氏や町長など10名の委員からなる審査会にかけられ、入選作品に幡野徳治さん(岩戸南在住)の作品が選ばれ、そのほか佳作として4点が選ばれた。
 入選に選ばれた幡野さんの作品は、こまえの題文字の「こ」を図案化し、中央の白い部分の流線は多摩川の流れを表現し、図案全体として新都市発展途上にある狛江市にふさわしい斬新なデザインとなっている。
 この表彰式は、記念すべき10月1日の市制施行当日、市役所で行われ、入選者には賞金30,000円、佳作者4名には賞金5,000円がそれぞれ贈られた。
 この市章は、市旗をはじめ、様々な刊行物に登場して、狛江市の渉外担当としての役割を20年を経た今も担っている。