昭和30年代の地方自治体の計算事務は、ソロバンと手回しのタイガー計算機が主であり、課税の時期などは残業続きの状態であった(ちなみに、電卓が初登場したのは43年頃で、当時1台約30万円の高価な物であった)。
 このような中で、人口の多い都市では会計機を導入して対応していた。
 狛江町でも、当時の税務課長を中心に、会計機導入のための調査検討を進めた。
その過程で、当時はまだ揺らん期にあった国産の超小型電子計算機を候補として、東京都の事務改善補助金を得て、39年4月に都内各町村で初めてこれを導入した。導入した機種は、NEACー1201A型で、担当は3人の職員であったが、町税や水道料の計算に威力を発揮した。
 当時の町役場は木造庁舎で冷房などはなく、職員はウチワを片手に汗をかきかき事務を執っている状態であった。電算室は、その一隅に小部屋を増築したもので、西日のあたる場所であったため、夏には蒸し風呂のような暑さになった。暑さの中では、電子計算機は人間のように融通がきかず、計算不能状態になり、急場しのぎにヨシズの日除けや氷柱を立てて扇風機を回したり…、いま思えば笑いたくなるような話である。それでも駄目なときには、担当職員は、昼間は休んで夜間に仕事をするなど苦労を重ねた。
 
その後、事務量の増加、対象事務の拡大に対応して、五次にわたる電子計算機のレベルアップやプライバシー保護条例を制定し、現在、さらなる発展へ向けて庁内で熱心な検討が重ねられている。
 電子計算機械の導入と時を同じくして、役場の窓口事務改善が実施された。従来、タテ割りで窓口事務が行われていたため、例えば転入してきた際は、住民登録、配給、国民健康保険、学校、ごみ等など、それぞれの窓口で手続きをしなければならなかった。
 これらを改善して、基礎的な届出、証明の発行などを住民課の総合窓口で取り扱うことにした。
 これにより手続きが簡単で便利になり、住民に好評を博した。