多摩川の花火は、大正11年頃に第1回花火大会が和泉多摩川観光協会によって開催されたのが始まりといわれている。
当時、多摩川の水はきれいで水量も多く、子どもたちは水にたわむれ、大人たちは舟遊びを楽しんでいた。
 その後、太平洋戦争を迎え、世の中は花火見物どころではなくなり一時中断したが、昭和25年に復活された。
 当時はまだ、民家が少なく、尺玉も打ち上げることができたとのことである。
43年、規模の拡大を図るため、主催を和泉多摩川観光協会から、狛江町観光協会に改めたのを機に、長い歴史に一旦終止符を打ち、新たに第1回「多摩川花火大会」としてスタートした。
 この頃から多摩川の花火大会は流域沿岸各地で開催されるようになり、開催地が分かりにくいこともあって、60年の第17回大会から名称を「狛江市花火大会」と改めた。このときから、観光梨園の宣伝のために実施されていた対岸の稲田登戸観光協会の花火大会は地元の協力が得られなくなり中止となった。
 狛江市の花火大会は、多摩川流域においては、歴史が一番古く、長年続いているが、これは観光協会の役員に地元の有力者が当たり、協賛金の徴収や大会運営に役員自らが尽力されていることにある。
 この花火大会は、市民の「夏の夜のいこいの行事」として定着し、この催しに寄せる期待は年々高まっている。毎年7万人もの人が集まるが、市外からの観客も相当な数になり、その名は広く知れわたるようになってきている。