昭和34年4月に国民年金法が成立し、36年4月から保険料の徴収と福祉年金の支給が始められた。
 制度化の背景としては、恩給をはじめ、厚生年金、各種共済組合年金など、いくつかの公的年金制度があったが、当時、国民の大半を占めていた農林業者や自営業者、零細企業に雇用される人たちは、この年金制度からは取り残されていた。
 また、医療技術の進歩により大幅に寿命が伸び、老齢人口が増加し、さらには核家族化に伴い老人が経済的に不安定になるなど、その対策として「国民皆年金」をめざして国民年金制度が誕生した。
 しかし、この国民年金については、審議中から革新政党や労働組合の反対も強く、成立後も実施反対の運動が活発に行われるなど、まさに平成の消費税導入の様相を呈していた。
 国民年金制度は、現在では、社会保障制度の根幹をなすものであることは衆目の一致するところであるが、発足当時は、掛け金が国の軍事費や大資本擁護の資金源になるなどの噂が流れ、また「夢の社会保障制度」との前評判に反し複雑、混乱化した制度に対する国民の不満はつのる一方であった。
 こうした中、国民年金の制度化直後は、被保険者としての加入促進が市町村の重要な業務となった。加入済み年金の調査と国民年金への加入促進に町役場のほとんどの職員が汗したものである。
 発足当時の月額保険料は35歳未満が100円、35歳以上が150円で、加入期間25年の老齢年金の給付額は、年24,000円であった。
 加入促進業務が一段落してからは、町の業務は、保険料の収納率向上に力点が移され、職員は臨戸訪問等による保険料の徴収に奔走した。
 当時は、年金手帳に印紙を張り、これに検認の印を押す収納方式のため、この事務に大変な労力を費やした。
 50年後半に入ると、制度も成熟期に入り、受給者が多く出始め、市の業務は、受給についての相談業務が中心になった。高額な年金が受給できるか否かの問題なので、慎重な対応が求められ、受給できると分かった市民の笑顔を見るにつけ、仕事のやりがいを感じる。
 なお、平成元年4月現在の月額保険料は8,000円で、老齢基礎年金の給付額は、年62万7,200円である。
 国民年金制度は、発足以来、制度の充実・改善が重ねられ、厚生年金制度と並ぶ公的年金制度の二大支柱に発展した。市民の老後の支えとなってきたこの年金制度は、高齢化社会が進行するにつれ、老後の所得保障として、ますます重要になっている。