現在の市役所敷地内(現駐車場付近)には、プレハブ造りのいずみ集会所が昭和51年10月31日まであり、この一室に図書室があった。これが狛江の図書館の始まりである。
 この集会所は41年に建設され、建設当時はこの中に水曜日だけオープンする「水曜図書室」があったが、43年からは名を変えて「いずみ図書室」となった。蔵書はわずかではあったが、52年の市民センター(中央公民館、中央図書館)の建設で同集会所が取り壊されるまで設置されていた。
 51年4月、中央図書館の建設をひかえて、いずみ集会所図書室、福祉会館図書室と岩戸児童館図書室を図書館分館として設置する条例が制定された。ここに市民待望の市立図書館が誕生した。
 この頃、狛江市基本計画(第一次)を策定するために行われた第1回市民意識調査における施設要望では、図書館の設置が文化施設中最高位であった。
 一方、地域センターの建設も進み、ここに図書館分館を併設することとし、51年野川地域センター分館、52年に上和泉地域センター分館を、58年に南部地域センター分館を開館した。
 これらの分館は、62年3月に行財政の見直しで廃止されたが、図書館機能を低下させることなく、各地域センターの図書室として残されている。
 中央図書館の建設工事と並行して、開館のための準備も進められた。図書館協会から職員を招聘し、その職員を中心に準備作業に当たった。短期間に書架等を中心にした初度調弁備品の発注と図書の購入が最大の課題であった。すでに開館日は52年11月23日と設定されていた。この日は第1回市民まつりの日である。
 4月に福祉会館内(現西河原公民館)に公民館とともに準備室を開設し、図書の品揃えをした。
 開館2週間前にようやく書架が入り、図書の搬入も始まった。ダンボール箱で約450箱、山のようにうずたかく積まれた図書を電算マスターに入力のうえ、次から次へと書架に並べる。作業時間との戦いであった。ちなみに52年度の図書購入冊数44,674冊は、人口10万人未満の市町村では全国で最高値であった。
 開館の当日、大勢の人力が並び、臨時にカウンターを増設して対応した。
 その後、蔵書も増え、現在では、20万冊を超えている。また、62年からは利用者の利便性を考え通年開館と夜間開館も実施し、市民の図書館として親しまれている。