急激な都市化が進み、ともすると市民同士のつながりや自分たちの住むまちを愛する心の薄れがいわれる中で、市民としての郷士愛し責任感を育み、市民意識の高揚を図るため、市民憲章を定めようという気運が高まっていた。
 特に、基本構想を策定するために設置された審議会でまちづくりの基本は市民であり、市民意識の高揚が必要であるとの意見が出されていた。昭和50年6月に設置した市民憲章策定委員会には、基本構想を審議していただいた一部の方々にも参加を願い、市民各層の代表を含めて、市民から寄せられる意見も参考にしながら論議が進められた。そして、市制施行5周年記念日にあたる同年10月1日に私たちの市民憲章が誕生した。
 なぜ、私たちの憲章であるかというと、この憲章は、行政の視点からではなく、市民自らが、自分たちのまち狛江を大切にするという意識と、心暖まる狛江を創造していくための連帯感を、市民の立場で、いわば市民の誓いの言葉として作られているからである。
 その後、この憲章の推進のために狛江市民憲章推進協議会が組織され、啓発のための活動が続けられている。市でも、広報紙やいろいろな出版物に掲載したり、街角に市民憲章広報板を立てたりして、PRに努めている。
 余談ではあるが、この市民憲章広報板は、財政難とはいえ、初年度に市費で設置したのはたった1基であった。そのほかについては市内の企業等の協力を受けて作るというユニークな方法をとったため、短期間に数多くの広報板を設置することができた。
 また、市庁舎前市民ひろばにある黒御影石造りの立派な市民憲章板は、56年の市庁舎落成時に東京調布ライオンズクラブから寄贈されたものである。