狛江市のコミュニティ施策がスタートしたのは、昭和52年に狛江市基本計画が策定されてからである。
 当時は、転入人口が多く、地域での疎外感や愛着心に問題があり、地域社会の形成が大きな課題となっていた。そこで、地域別の生活水準やコミュニティ形成の向上をめざし、39の基礎コミュニティを基に、字や町会、小学校区、買物圏、幹線道路などを考慮して11のコミュニティブロックを設定し、これを基にコミュニティの醸成を図るため、市民の活動の拠点となる施設(集会所)を建設することとした。
 この集会所を11のコミュニティブロックごとに建てることは、用地取得などで現実にむずかしい問題が多いため、全市域で4か所に設置することにした。
 最初の施設は野川地域センターで51年6月に開館した。名称は地名の野川をし、コミュニティにふさわしい地域センターとした。施設内容は地元の小足立町会や覚東町会などと協議し、公民館と図書館の分館も含むこととし、管理については当時の吉岡市長が、地域住民に対し、地域のための施設なので皆さんが使いやすいように皆さんで管理してくださいとお願いした。このため地元では、団体や一般市民で地域センター運営のための協議会を組織し、市と協議しながら開館の日時や使用方法を決めるなど自主的な運営がなされ、今日に至っている。これ以降、建設された地域センターは、この例により運営されている。
 2番目の地域センターは、上和泉地域センターで、52年7月に都営狛江アパートの汚水処理場の跡地に建設された。この地域センターの建設に際して、都営住宅自治会や市から都住宅局に対し再三要望した結果、都営住宅を併設するということで実現した。建設費は都が負担し、施設は都の所有であるが、市が無償で借用している。施設内容は地元自治会などの要望で、体育室まで設置されている。
 3番目は、岩戸地域センターで53年7月に建設された。同センター建設地は岩戸八幡神社の所有地で、かつては岩戸町会所有の木造平屋建ての公民館が建っていた。同センター建設に際し用地取得が困難なため、同公民館の建て替えの話を岩戸町会に打診した。岩戸町会はこの話に応じたが、最初はコミュニティ論から始まり、岩戸町会の専有部分の確保など話し合いは数10回に及んだ。結論として用地は岩戸八幡神社から市が有償で借り受け、市が建物を建設し、建物の一部を岩戸町会に無償で貸与することとした。
 4番目は南部地域センターで58年4月に建設された。この用地は幸い土地所有者の都合もあったようだが、市で買収し、施設内容を地元町会などと協議のうえ、建設された。
 これらの地域センターは、52年11月に建設された市民センターを中核とした各地域のコミュニティ施設である。
 
市民センターの主要な施設は、中央公民館と中央図書館とで、各地域センターにも当初はこの分館を配置していくことでスタートした。組織は、52年にコミュニティ行政を総合的に推進するため、公民館や図書館を統括する地域活動推進部を設置し、分館への職員配置は、公民館や図書館の職員を地域活動推進部の兼務で配置し、地域活動推進部の職員も配置した。
 野川地域センター開館後まもなく、住民から苦情が出始めた。職員の住民対応についてである。住民からすると、地域センター窓口での対応は、公民館でも地域活勤推進部でも関係なく、親切で、感じのよいことを期待していたのであるが、職員の対応にタテ割り行政の悪弊が露呈したのであった。そのため、岩戸と南部地域センターには、図書館分館のみで公民館分館の設置を見合わせた。
 地域センターの公民館分館と図書館分館は、62年の組織改正で廃止することとなったが、本来、市民に好評であるべき地域センターも分館廃止までの間、寄せられる苦情の対応に追われることがしばしばであった。
 各地域センターでは、趣味のグループを中心に数多くの団体が誕生し、活動も盛んに行われているが、コミュニティの醸成についてみると「自主的、自発的」のみにこだわらず、行政においても助言などの一層の支援も必要であると思われる。