全国初の試みとして、狛江市に聴覚障がい者のための災害情報伝達システムが導入されたのは、昭和60年9月1日の防災の日である。
 災害時の情報伝達手段として、56年に設置された狛江市防災行政無線システムは、子局のスピーカーからの伝達なので、耳の不自由な人には、満足のいくシステムではなかった。そこで、職員の発案で、これを補完するシステムを開発した。導入当時は新聞、テレビなどでも大々的に報道された。
 このシステムは、防災行政無線で緊急放送を流すと、障がい者宅に設置された受信機のフラッシュが光り、バイブレータが振動するもので、緊急放送が流れていることが合図で確認できるというものである。
 開発、導入のきっかけとなったのは、58年10月1日に実施された障がい者団体主催による防災訓練の場での聴覚障がい者の「防災行政無線は、耳の不自由な人には何の意味も成さない。情報の内容をパンザマストに懸垂幕を下げて知らせてもらえないか。」という訴えがあった。
 懸垂幕を確認するには、常時監視が必要であるし、マストに遠く離れて住む障がい者もいることから、この方式は現実的ではない。ただ、この時、職員の頭をよぎったのは、国際障害者年の「完全参加と平等」であり、ここ生命に係わる問題なので、このまま聞き置くだけではいけないということであった。
 開発のヒントになったのは、電波の弱い地域向けに既製の屋内受信機があること、国制度の障害者施策「日常生活用具給付事業」の給付種目にフラッシュベル(光で来訪者や電話の着信を知らせる器具)があること、また防災行政無線の電波発信がブロック別やマスト毎に行うことが可能であるということであった。既製の屋内受信機に手を加え、これにフラッシュベルを接続すれば何とか合図だけでも送ることができるのではないかと考えた。
 このアイデアを実現させるため、防災行政無線の保守を請け負った業者に協力を求め、試作機が完成したのが59年8月である。早速、障がい者に立ち会いを求め実験し、実用化についての感想を求めた。
 結果は、(1)情報の内容が不明確、せめて予知情報なのか避難命令なのか程度の識別ができないか、(2)夜間、熟睡している時にはフラッシュだけでは不安があるということであったので、一部を改良し、多数の障がい者に体験してもらい、市での事業化について意見を求めたところ、機能に不満はあるものの、実用化への期待が寄せられた。
 この期待に応え、60年に18台分を158万4,000円をかけて実用化し、障がい者の家庭に設置した。その年の防災の日に合わせて、本稼動し現在に至っている。