玉翠園の石垣下の辺りは入江のようになっていて、いつも四、五隻の屋形船がつながれていた。連絡があると畑に出ていた人も船頭、漁師に早変わりして駆け付ける。
 流れに出ると、舳先(へさき)の漁師が投網(とあみ)を打つ。かかったアユやハヤは持ち込んだ七輪で焼いたり天ぷらにする。お客さんは即席の新鮮な味覚を堪能する。アユの塩焼き・天ぷら・魚田(ぎょでん)、こいこくやコイのあらい、ウナギの蒲焼、ナマズのスッポン煮などは店の方のメニュー。酒は調布萩本の「春秋」、ビールはヱビスビールだった。
 コイやウナギは根川の冷たい水を引いて造った生簀(いけす)にいつもあふれていた。アユは近所の漁師が夜のうちに投網で獲って売りにきた。ウナギをドウで獲って、「おばさん買って」と裏口に持ち込む子どもたちもいた。結構お小遣いになったという。
 芸者さんは調布からの遠出であった。電話がひけるまでは男衆が自転車をとばして呼びにいった。人力車にゆられてくるのだから、到着までにはかなりの時間がかかった。門の脇には帰り客を待つ人力車が何台も並んでいた。
 玉翠園の「玉川清遊御案内」というちらし(昭和六年)によると、遊船(家根船、船夫付き三時間以上)、五人乗りまで三円五十銭、十人乗りまで六円、十五人乗りまで八円五十銭、二十人乗りまで十円となっている。なお漁夫一人網付き一日二円十銭であった。
 川魚料理は鮎(アユ)、鯉(コイ)、鰌(ドジョウ)一人前四十銭以下、鰻(ウナギ)、鯰(ナマズ)一人前八十銭以下、日本酒五十銭以下、ビール四十五銭以下、サイダー三十銭以下。いずれも「以下」というのが面白い。
 団体会席(会費一円から三円)、園遊会(会費一円)なども引き受けた。句会や歌会などの利用も盛んだったようだ。お客さんは小田急が開通するまでは京王線北浦(後に国領)から徒歩や人力車でやってきた。