昔の農家の暮らしではいちばん忙しい月は六月で、蚕(かいこ)を飼っていた頃には、春蚕(はるご)の世話が十日頃に一段落すると、息つく間もなく、梅雨の晴れ間を見ての麦刈り、そして田植えなどと、農作業が続く。
 六月下旬からは、クルリ棒を使った麦棒打(ぼーち)が、田植えの後の大きな仕事になる。「お前さんとならば どこまでも わたしゃ上総(かずさ)の 果てまでも ホイッホイッ」などと、棒打唄もうたわれた。棒打は、暑い日ざしが照りつける庭先に広げた麦の穂をクルリ棒で打って、ノゲを取る作業である。汗にまみれたからだにノゲがちくちくささって、農家の仕事の中でもつらいものの一つであった。
 麦こなしが終わり、田や畑の草取りやさく切りなどの手入れがひとわたりすむと、農作業にひと区切りがつくので、「夏上がり」とか「ノゲ振るい」などといって、骨休みの日を取る。この休み日は、府中の大国魂(おおくにたま)神社の李子(すもも)祭りの日の七月二十日を、目安にしたものであった。
 この日、変わり物として、うどんやまんじゅうも作る。新しく来たお嫁さんは、「夏上がりに行く」といって、一晩か二晩、里帰りをする。お赤飯やうどんを手土産に持っていく。夏上がりの「仕着せ」として嫁ぎ先で作ってもらった銘仙(めいせん)などの単衣(ひとえ)を着ていく習わしもあった。「里腹(さとばら)七日」ということばもあって、お嫁さんは、実家で好きなものを思いきり食べて、元気を取り戻して帰ってくる。
 夏上がりの日とその前後の三日間にわたって休みを取ることもあり、この場合は三日正月といっていた。
 夏上がりの七月二十日、男衆や子どもたちは府中の李子祭りに出かけ、露店に並ぶスモモや縁起物の烏団扇(からすうちわ)を買って帰る。このスモモを食べると、夏負けしないという。烏団扇であおぐと病気にかからないとか、田畑の農作物をあおげば病虫害にかからないなどといわれ、神棚や入り口にさして魔よけにもした。