中和泉のだぐら書店(谷田部精一家)の敷地の一角にある駄倉塚の小高い山には、数本のマツの木が立っていて、そのいちばん高いマツのてっぺんに、狛江村の人たちに天気を知らせる旗が揚がったことがある。明治三十年代から四十年代の一時期であったと思われる。晴れの日は赤、雨ならば白い旗が掲げられた。
 谷田部家に嫁いだトミさん(明治三十二年生)は、子どもの頃に、喜多見の実家から、この赤と白の旗がよく見えたことを、晩年、娘たちに語ったという。白い旗が揚がると、「あしたは雨だから、クワの葉をいっぱい摘んでおけよ」と、親たちに言われて、蚕にくれるクワを摘んだものであった。
 赤白二色の旗で知らせる天気予報は、狛江村役場の仕事であったのかどうか、どのような仕組みになっていたのかわからないが、一人の女性が活躍していたことは確かである。この人は、覚東の高木ゲン(明治十七年生)という娘さんであった。甥に当たる高木雄一さんは祖父から当時のことを聞いている。そのお話によると、ゲンさんは、毎日、自転車を走らせて、府中にあった郡役所(明治十一年開設の北多摩郡の役所)まで予報を聞きに行き、駄倉塚に旗を立ててきたという。
 ゲンさんは、たいへん活発で開化的な、ハイカラ女性だった。自転車はまだ珍しいうえに、まして洋装の娘が自転車を走らせる姿は、たいそうな評判であった。若い衆に待ち伏せされ、通るのを邪魔されて困ったこともあった。自転車に乗る高木さんの娘を見ようと大勢の人が集まってきて、それは大騒ぎだった、と谷田部トミさんも話していたという。
 このような近代になってからの「天気予報」に比べて、昔の人の経験から言い慣らわされてきた素朴な天気予知は数多くある。例えば、土手雲が出ると雨、多摩川に藻が流れてくると雨が降る、富士山に雲がかかると風が吹く、大山の方から出た雷様は大きくなる、朝雨は蓑(みの)を脱ぐなど。