来る日も来る日も日照りが続いて、八月のお盆くらいまでには雨が降らないと、野菜とか陸稲(おかぼ)が枯れてしまう。「八月日照りはサトイモにたたる」ともいわれていた。「これじゃしょうがねえ」と雨乞いの相談がまとまると、代表二、三人が大山(おおやま)までお水をもらいに行く。
 雨乞いは、七月の末から八月上旬までに行われることが多い。雨降りにご利益があるといわれる大山阿夫利(あふり)神社のお水を竹筒に入れて持ち帰り、その道中では、振り向くと雨が降らなくなるとか、中途で休むとそこに雨が降ってしまうから、休んではいけないなどといわれた。弁当をつかうときや用を足すときには、代わりにだれかがお水を持って歩き続ける。足踏みをしているぶんでも、立ち止まってはいけないとされた。
 大山様のお水がいちばんご利益があるといわれたが、片道十三里の道のりを歩いて行くのには一晩泊まらねばならず、費用も時間もかかるので、井の頭の弁天様にお水をもらいに行く部落(旧村)もあった。
 いただいてきた竹筒のお水は、鎮守のお宮にあげて伊豆美神社の神主さんに拝んでもらい、一同でお神酒(みき)を飲んで、太鼓をたたきながら川へ繰り出す。竹筒のお水を神主が持ち、わらを太く束ねて竹の棒を通し頭に御幣(ごへい)を付けた梵天(ぼんでん)を持つ梵天持ちが先頭に立つ。雨乞いの場所は、和泉では多摩川や泉龍寺の泉、小足立や覚東は野川、猪方は多摩川で、岩戸は六郷用水の二の橋のところであった。まず竹筒のお水を川に注ぎ、神主さんが祝詞(のりと)をあげると、六尺ふんどし一つになった男たちが水にとび込み、「サーンゲ 懺悔(ざんげ) 六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながら、川の中に立てた梵天や神主さんに水を掛ける。
 その日の夕方とか三日くらいの間に、奇態におしめりがあったものだという。雨が降ると、おしめり正月といって遊び日になる。
 駒井では雨乞いの後、多摩川の大水が出たことがあったので、雨乞いをやらなくなったということである。