明治の昔、多摩川の縁に、カゲツ(花月?)という料理屋があって、二階建てであった。その頃には、狛江に二階造りの家が、ここ一軒しかなかった。このカゲツは、今の和泉多摩川地区センターの西北の、道をへだてた一角(東和泉三の七)にあって、対岸に長尾(川崎市)の権現様をのぞみ、カゲツのすぐ下からは渡し船が行き来していた。裏の広っぱでは村の若い衆が盆踊りに興じたこともあったという。
 多摩川は昔から名所だったので、眺めのよい二階造りのカゲツには、東京から遊びにくる人たちがよくやって来た。異人さんも遊びにきた。異人はイギリス人で、子どもも大人もみんな「異人が来た、異人が来た」と言って、見に行ったものである。
 東京から多摩川へ遊びにくる異人さんは、自動車に乗ってやってくる。カゲツの常連の客のようだった。その当時は、自動車などなかなか見られなかったから、珍しくてみんな見に行くので、大変なさわぎだったという。
 和泉の谷田部庄作さんのおじいさんは、よく「高いのは長尾の権現様、カゲツの二階」という唄をうたっていたそうだ。長尾の権現様のある山は、多摩川のこの辺りではいちばん高かった。そして、次にカゲツの二階といわれるほど、川の縁にあるこの料理屋はよく目立った。だれが作ったのかわからないが、このことが唄になってうたわれていた。
  高いのは
  長尾の権現様
  カゲツの二階
  前は名高き多摩川の
  裏は和泉の玉泉寺 ちょいとね
 多摩川の名物でもあったカゲツは、明治天皇が亡くなられる頃までやっていたらしい。その二階の家は、戦後二十年ほどはあったという。