多摩川で一般によく使うかち徒歩打ちのカチアミは目数が二十万目で、舟から打つフナアミは二十五万目。アユなどに使った目のいちばん粗いマルタアミは、一万七千くらいの目数。
 川漁の網は、ナイロン製が出まわるまでは、みな手作りだった。網糸は麻か絹で、麻糸は調布か溝の口へ買いに行った。そのころには、狛江などでも養蚕をしていたので、絹糸は自家製のものも使ったが、松坂仙蔵さんのところでは、たいていは、岩戸の西山撚糸屋から買っていた。また、川向こうのクヌギの林で採ったヤマウメ(山まゆ)の糸を、祖父がブンブン引いて使ったこともある、と松坂さんは話す。ヤマウメは丈夫だが、採れる量に限りがあるので、絹糸をいちばん多く用いた。
 網を編むのをフクルとか、スクなどといい、日に一万目ふくれれば一人前だといわれた。一万目ふくるには、朝から夜なべ仕事にまでなった。網すきは男の仕事である。カチアミは二十万目なので、ふくるのに最低20日はかかる。エどなどを獲る細かい網は、40日くらいかかった。目をふくってから、太い糸で裾をかがるアゲバ(ツリッパともいう)作りをやり、さらにイヤヅケと呼ぶおもり錘作りに2日はかかるので、カチアミ一網に、順調にいっても24、5日。だいたい1カ月はかかった。
 でき上がった網は、柿シブのとろりとした液に浸してシブをつけ、すぐに干しておく。こうすると、打ちいいし、破れにくい。柿シブは登戸の吉沢という傘屋まで買いに行ったものだった。
 網につける錘をヒルンボ型とかヒルンボ(ひる蛭)と呼び、カチアミなど普通の網目のものには一貫二、三百匁の鉛の棒を使った。これを鉄板などの上で溶かし、鋳型に流して作る。鋳型は2枚のといし砥石のそれぞれに3個くらいヒルンボの型を彫ったもので、糸を通す穴に当たるところにはこよ紙縒りを置き、砥石を合わせて鉛を流し込む。カチアミ1枚のヒルンボ型は全部で1700個くらい。一網の錘を焼くのに1日はかかった。