昔は、医者にもなかなかかかれず、今のように良い薬もなかったので、「あすこがいい」という評判を聞き伝えて神仏に願かけをし、病気平癒を祈願する人も多かった。

 玉泉寺のおしゃもじ様
 
和泉の玉泉寺の境内にあるお堂には、おしゃもじ様が祀ってあり、戦前までは、百日咳、風邪、のどの痛みなどを治してもらうために、お参りする人が少なくなかった。特に百日咳には霊験あらたかといわれ、子どもが百日咳になると、おしゃもじ様に奉納してある飯盛りのしゃもじをお借りしてきて、それを子どもの枕元に置くとか、そのしゃもじでご飯を盛って食べさせるとかしてやると、早く治るといわれた。
 治ったお礼には、借りてきたしゃもじに新しいしゃもじを添えてお返しする。しゃもじが山のように上がっていることもあった。
 おしやもじ様は、江戸時代に書かれた『新編武蔵風土記稿』では、「石神」の字が当てられ、神体は豊磐間戸(とよいわまど)、櫛磐間戸(くしいわまど)の両神とされている。

 子(ね)の権現(ごんげん)様
 
覚東の子之神社に祀られる子の権現様は、足の病を治す神様だといわれ、特に戦時中には、達者になるようにと、足の悪い人がよくお参りに来たという。わらじなどが上がっていることもあった。

 庚申様
 路傍の石仏として辻や道端に多く残っている庚申様の中でも、特に和泉の松原の庚申様と猪方の辻にある庚申様には、足や耳の病の平癒を願って遠くからもお参りにくる人があったという。松原の庚申様は、珍しい「西向きの庚申様」なのでご利益があるといい、諸病のほか商売繁昌にも霊験あらたかといわれた。調布の入間などからも病気の子どもを背負ってくる人もあった。
 供え物には、おさんご(米)や賽銭(さいせん)などのほか、足の病にはわらじを、耳の病には穴のあいた小石を供えた。戦時中には無事を祈る出征兵士もあり、帰還できたお礼に大きなわらじを作って供えることもあった。