台所のへっつい(かまど)の近くの壁に棚を設けて祀(まつ)る荒神(こうじん)様は、多くの家では南向きに祀られている。稀に、家の造りによって例えば東向きで台所が向かって右という左住まいの造りなどでは北向きになっている場合があり、「北向き荒神」といわれていた。
 和泉の松本公臣さんの家でも、現在のように建て替える以前は、北向きの荒神様であった。なぜか、この荒神様は、家人の知らないうちに兵隊逃れに霊験があらたかとうわさされ、ひそかにお参りにくる人たちがあった。明治三十年代の日露戦争頃のことらしい。松本イチさんは、次のように伝えている。
 荒神様の下っかわがへっついになっていて、わたしのおばあさんが、そこの土間で火を燃やしていたんですって。そうすると、そこにやって来た人が、和泉の人じゃないけれど、全然知らない人でもなかったんでしょうね、火にあたってて、いつまでたっても大した話もしないで用件も言わないし、どうしたんだろうなあと思って、火を燃やしながら相手をしていて、ひょいとそこを離れたときに、その人がふといなくなっちゃたんですって。
 後でわかったことだが、荒神様にお参りして持ってきたサカキの枝を上げていったのである。そして、三日くらいしてからだったか、そのサカキのしんのところを取りに来て持ち帰った。その人は、徴兵検査を受ける青年の母親かおばあさんらしかった。徴兵検査を受けに行くときに、その時分はまだ洋服ではなかったので着物の襟の中にでも縫い付けていったものらしい。見つからないようにして身に付けておくと、兵隊逃れになるとかいうことを、後になって聞いたという。
 その後も、同じような目的で何人かの人が、松本さんの北向き荒神様をお参りにきたということである。