念仏講といわれるものには、おばあさんを中心に作られた念仏講や、葬式のときなどの助け合いの組になっている講中の念仏講などがあり、後者は男中心のところが多かった。お念仏には、月に一度の月並念仏と、講仲間の家の法事供養などに行う「頼まれ念仏」「頼み念仏」がある。また、不幸のあったときには、通夜あるいは出棺の際や穴端で、さらに葬式の後の念仏もあり、これらは葬式の念仏講中によっても行われた。終戦までは月並念仏を行うところは多かったが、今では全く行われず、上小足立の念仏講で、春秋の彼岸明けの日に集まるだけになった。
 猪方に例をとると、ここでは昔は猪方六十軒といわれ、葬式の講中である念仏講は上(かみ)、中(なか)、下(しも)に分かれているが、月並の女念仏の講中は、中組に下組の人も一部入っていた。月並念仏は月の十五日に行い、春秋の彼岸の月には月並のほかに、入り、中日、明けの日にも集まった。農繁期の七月と寒の一月は休むので月並が十回、それに春秋の彼岸が六回で、年に十六回になる。念仏講にはおばあさんが多いが、年寄りのいない家でもお付き合いなので、子どもをおぶって参加する主婦もあった。宿は回り持ちで、サツマイモなどをお茶菓子によく出したので「芋念仏」といわれたこともあった。戦後、物が出まわり始めて、宿で出すものに気を遣うようになり、昭和二十五年頃を境にやめてしまった。
 念仏講は八時頃から始まり、遅くなると十一時頃になることもあった。念仏上手の人が正座に着いて大きい鉦(かね)をたたいて音頭をとり、そのほか小さい鉦が五つか六つ。席は年齢の順に座った。百万遍の大きな数珠を十回くらいまわしてから、お念仏を始める。念仏の後、「これさまに参り申して」などで始まる祝い唄の「初瀬」をうたったりするのが楽しみであった。念仏講は年寄りの女たちの楽しみな集まりで、念仏の後の世間話などに話がはずんだものであった。嫁入りをして「顔見せ」にまわるとき、念仏講の仲間の家には必ず行ったものだという。