昔、菅原神社の社前にはきれいな小川が流れていた。清水川といって泉龍寺の弁天池を水源に今の二中通りを南に流れ菅原神社の辺りからいく筋にも分かれて、今の二中の体育館の西側にも、南側にも、北側にも広々と広がる田畑の間を東に向かって流れていた。
 春になると田んぼいっぱいにピンクのレンゲが咲き競い、水辺にはセリの新芽がむらがっていた。レンゲの花は少女の髪や首を飾り、摘んだセリは春の風味として食膳をにぎわした。
 夏の水路は子どもたちの格好の遊び場だった。蛙の皮をむいて糸の先に結び付け、水の中に垂らすと面白いほどたくさんのザリガニが獲れた。そこにはフナもドジョウもタニシもいた。
 秋になり稲穂が波打つ頃、どこからとなく笛・太鼓の音が聞こえてくる。村芝居が来て、屋台が並び、新しい着物が着られる村祭りは子どもたちにとって一年のうちでいちばん楽しいときでもある。
 冬が訪れ干上がった田では、大勢の子どもたちが畔の上に立って、強い北風を背に凧揚げをした。竹ひごに和紙を張ったお手製の凧は何の邪魔者もなくどんどん上がっていった。寒がりさんにはハケ下の日だまりは最高の場所だった。ここにいれば北風も頭上を通り過ぎる。そこにはお手玉や羽根突きをする女の子の姿があった。
 神社の前には洗い場があった。農家の人たちが手足を洗い、道具を洗い、収穫したばかりの大根を洗った。ときにはその足場の石の上で子どもたちが青菜を摺りつぶして遊んだ。何度も何度も繰り返してつぶしたところには摺鉢形のくぼみができた。今も二中の校歌の碑の石段には洗い場石が置かれ、可愛い子どもたちの思い出がいくつも刻まれている。
 やがて水道道路ができ、東洋堂が店開きし、二中ができた。そして二中の校地が拡張されたとき、開かずの踏み切りで困っていた小田急線以南の消防力を強化するため、狛江消防署猪方出張所が造られた。